研究会ブログ

2016年06月 3日 Fri. Jun. 03. 2016

構想の庭vol.2

弊社から発行された構想の庭 vol.2

 

三菱総合研究所理事長の小宮山宏氏。

京都大学総長の山極壽一氏。

元長野県知事で作家の田中康夫氏。

元滋賀県知事嘉田由紀子氏。

多摩大学の学長・日本総合研究所理事長の寺島実郎氏。

慶應大学名誉教授井関利明氏。

写真家の遠藤湖舟氏。

 

以上の論客に次なる社会のエネルギーをお伺いしたインタビューマガジン、その内容を一部ご紹介します。

 

■社会主義的公共性

元長野県知事で作家の田中康夫氏が主張する社会主義的公共性とは、思い切って簡単な表現をするならば「良い意味での公私混合」です。

 

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長野県知事時代に、「『官』対『民』」という言葉を一度も使わなかったという田中氏。その真意は、それらを対立させるのではなく、その壁を溶かすこと。

「『官』に所属する人間も住宅ローンを抱え、子どもの教育に思い悩む『民』の一人なのです」とし、心の中にあった「実家の向かい側に住む独居のお年寄りが歩きやすい歩道を整備したい」などの純粋な気持ちが「前例が無いから」「予算が無いから」という組織の理論で冷え固まり、やがて自らも「前例が無いから」と申し立てる側に回ってしまう。

そのために、「微力だけど、無力じゃない。」という想いを胸に活動されています。

 

組織に属する社会人であれば、個人としての純粋な気持ちは大なり小なり組織の論理に染まってしまいます。

その時に、「『官』対『民』」という言葉でいたずらにその対立を煽っては余計に両者が頑なになってしまいますが、「官」(組織)であっても、「民」(一人の人間)であることを両者が思い出す。それが「社会主義的公共性」ではないでしょうか。

 

その最も基本的な理念を、田中氏は以下のように述べています。

「出来る時に・出来る事を・出来る場で・一人ひとりが出来る限り、という心意気が大切で、それが社会主義的公共性です。高みに立ったサロン的な閉ざされた社交とは異なります」

 

なお、田中氏はサンデー毎日5/29号で本誌をご紹介くださり、7月14日の文化経済研究会での講師としてのご登壇も快諾いただきました。

 

■ゴリラから見える人の社会性

京都大学総長の山極壽一氏は、日本におけるゴリラ研究の第一人者です。

その人間についての洞察は、人に近い生態を持つゴリラの研究者ならでは。

 

例えば音楽は、「人は自然界で怒るあらゆる危険から身を守るために、共同で子育てを行うようになりました。その子どもを守るという集団生活において、実の親以外が音を介して赤ちゃんに安心感を与えるために編み出されたものです」。

 

他の動物のように木に登ったり、速く走ったりという能力が著しく劣っている人間が自然界で生き残っていくために獲得した最大の武器が「社会性」であり、人間の進化は社会性の獲得とイコールです。

とりわけ、20万年前に言葉が誕生したことが大きな変革でした。

ライオンが牙を、タカが翼を持っているのと全く同じ自然の摂理として、人間は「言葉」を持っているということになります。

そう考えると「『自然』と『人』」という対立はあやふやなものになり、全ての人工物でさえ、我々の知識や技術・文明も自然の産物であることから自然物と見なすこともできます。

 

どの論者のインタビューも新たな示唆を与えてくれる本誌「構想の庭vol.2」。是非お手に取りください。

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