研究会ブログ

2015年04月24日 Fri. Apr. 24. 2015

上野千鶴子氏著『ケアのカリスマたち 看取りを支えるプロフェッショナル』

2012年7月に第60回文化経済研究会でご講演をいただいた上野千鶴子氏の最新著書『ケアのカリスマたち 看取りを支えるプロフェッショナル』をご紹介します。

 

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 介護保険が成立して以来、介護現場の中から「カリスマ」と呼ばれる人が出てきた一方で、介護を支える家族の受け皿は貧弱に。

高齢者人口に占める「おひとりさま」の割合は女性は22.5%、男性は15.5%に達すると推計され、「看取り難民」が47万人も生まれると予測されています。

 

ではおひとりさまはどこでどうやって死ねばいいのか?

孤独死ではなく、「在宅ひとり死」という言葉で一人で家で死ぬということを捉え、その恐怖をなるべく減少させるというのがこの本のインタビューの目的です。

それにあたり、上野氏はルポライターでもなく、インタビュアーでもない「当事者」だと自身を位置づけ、現場の方々と思い切った議論をされています。

 

介護に対して様々な角度からアプローチされている方々が登場しますが、

特に印象に残ったのは「看取り士」の柴田久美子さんが登場している章です。

 

看取り士とは、文字通り病院でこれ以上はできることがないと余命宣告を受けた方の最期を看取るお仕事。

亡くなる直前には24時間体制で見守り、家族がいない場合には臨時の「家族」となって見送ります。

看取り士の資格を持っている人は現在全国で50人。要請講座では茶道や作法の他、胎内内観といって携帯電話などを切り他者とのコミュニケーションを5日間断つことで自らの内面を見つめるという期間を過ごします。

 

こういった職業があることは以前から知ってはいましたが、おそらく看取り士のことを知った誰もが気になるであろう疑問を本文中で上野氏はぶつけられています。

それは、

「もし自分の最期が近いとしたら、見ず知らずの看取り士よりも家族に側にいてほしいと願うのではないか」

ということ。

 

しかし、最初は看取り士の人も見知らぬ人をさすったり手を握ったりしてもいいものか戸惑うそうですが、回数を経るごとに

「ああ、待っていてくださったんだな」

という思いを感じるそうです。

 

また、最期の瞬間を看取りたいために24時間あるいはそれ以上も付きっ切りでいなければならないというご家族の方に「寝てもいいですよ」と背中を押してあげるのも看取り士の使命の一つ。

死に目に会いたいという遺族の切迫感の根本的な解消にはなりませんが、それは消えはしないしまた消える必要も無いのではないかという示唆も。

 

なぜなら、死を受け入れた人はそこまで寂しさなどは感じない。(柴田さんの意見)

やはり最期を看取るというのは、遺される家族の側のニーズが強いのですね。

お葬式のお花が死者ではなく参拝者の方を向いていることを考えても、旅立つ人々に関する諸々の儀式は、旅立つ当事者ではなく遺された家族のためという側面が大きいと思います。

 

死ぬのは病院で……

それが一般的になり、核家族化も進行した事によって家庭から「死のノウハウ」が失われています。

親戚や知り合いの葬式に参列することはあっても、それを身近に体験することはなく、最初の死の経験はいきなり自分の親ということも珍しくない。

しかし、高齢社会の後には多死社会が待っています。

遺された我々はどう振舞えばいいのか、送る側、送られる側双方にまたがるこれからの大きな課題も、本書は示唆しています。

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