研究会ブログ

2013年12月20日 Fri. Dec. 20. 2013

書評②~堀江貴文著 『ゼロ』

2013年文化経済が注目したベストセラー本書評の第二弾は、

堀江貴文 著 『ゼロ』

 

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ビジネスの具体的なノウハウは書かれておらず、エッセイ・自伝に近い。

 

まず九州での幼少時代から話は始まる。

勉強はできる子だったらしく、昔から100点以外は取ったことが無かったという。しかも熱中しやすい気質で、中学生時代にパソコンを購入してプログラミングに嵌っていく様子や東大受験生時代の英語のテキストを例文を含めて丸暗記していく勉強法からは一つのことに尋常ではない集中力を傾けることができる彼の特性が伺える

 

また、東京大学を受けようと思った理由が少し変わっている。

 

まず彼には両親から自由になりたいので一人暮らしをしたいという思いがあった。しかし地元九州の大学に入学したのでは実家から通えと言われてしまうのは明白。早慶などの東京の有名私立でも両親の頭の中では九州大学以下の扱い。

では日本人なら誰もが知っている東京大学に行くしか両親を納得させて一人暮らしをする方法は無い!

 

理詰めで考えた末にこの結論に達したそうだが、この結論を出した当時の彼の東大の合格判定は“合格圏外”。しかもそれは高校3年生の春。無謀すぎる決断である。

 

「出てきた結論に眩暈がしそうになる」。しかし、「他に選択肢はない」と言い聞かせて上気したような丸暗記勉強法によって見事に彼は東大に合格。在学中に、中学時代に培ったプログラミングの腕を活かしてホームページの製作会社である有限会社「オン・ザ・エッジ」を立ち上げる。

その際に、当時プログラマーとしてアルバイトをしていた会社から破格の70万円の月収でもって留まるように依頼される。しかし彼は自分が気づいたインターネットの可能性と、おそらくそれに気づいている人間は自分の他にもいるに違いないという焦りから、逆に600万円の借金をしてまで起業にこぎつけた。とにかくスピードを優先したのだ。

 

ここまでで本のおよそ半分である。

会社の経営やビジネスアイデアに関することは他の書籍でいくらでも紹介しているのでそれを参考にしてくれ、とのこと。

 

本の後半は彼が自分の人生を分析しつつ、独自の思想を語ることに割かれている。以下の文章が印象的だった。

 

「営業マンの長話につき合わされている人は「他人の時間」を生きている。大好きな仲間と飲みに行く人は「自分の時間」を生きている」

 

彼はどうあっても「自分の時間」を生きることを選ぶ。そこから彼の半生は徹底的に「自由であること」を求めるためのものだったと読み解ける。

親からの自由を得るために東大に入ろうと決意した時、誰かの作ったルールの下で働くということからの自由を得るために会社を立ち上げた時、そこには尋常ではない自由への渇望があったのだと思う。

 

東大へ入りたい、会社を作りたい、そして今はロケットを作りたい……。

それはまるで目に入ったものを何でも「欲しい!」とねだるような子供の渇望に近いもののように映る。

だが「欲しいものは欲しい」それこそが、不自由な人間が本当は気づいているにも関わらず目をそむけ続けている本来の自由だ。

東大に入るという自由には、膨大な量の勉強という努力と責任が付きまとうのは当然なのだ。それを「東大になんて入れるわけがない」というのは、「努力も責任も嫌なので自由じゃなくていいです」と自由を放棄していると言える。

「東大なんて別に入りたくもない」と言い出せばもっと危険だ。思考や願望の自由さえも放棄し始めた証拠だ。

 

小さい子供は成りたいものに成れると信じている。だが一般的に日本人は高校時代の受験勉強によって努力ということの大変さを思い知り、大学時代のアルバイトによって仕事の責任がいかに重いかを思い知る。

責任と努力の負担が恐ろしいあまりにその裏に実は自由があることに気づいていない。

 

収監される直前の堀江に、司会者の田原総一郎が「あなたが逮捕されたのはネクタイをしていなかったからだ」と言ったそうだ。ネクタイをして政財界のルールを守っていれば、彼は「自分たちの世界に土足で上がりこんできた若造」と老人たちの目に映らずに全ては上手くいった、という意味だ。

だがそれも解った上で彼はネクタイをしなかった、それはコモンセンスとコモン・ローの違いだという。

 

「例えば経団連の参加条項としてパーティにはタキシードを着ること、とあれば僕は何の問題もなくタキシードを着る。明文化されたルール(コモンロー)に従うことに抵抗はない。一方、仕事ではスーツを着ること、偉い人と会うときはネクタイをすることはどこにも書かれていない。ただの慣習(コモンセンス)だ。スーツが好きなら着ればいいが嫌いなら着る必要は無い」

 

彼はスーツを着ない自由を選んだ。裸の王様に「王様は裸だ!」と言った子供のように、誰もがおかしいと気付きつつも誰も何も言わない空気に対して抵抗を試みた。その結果として逮捕があったと言ってもいい。

身体が成人してからもなお、目に付くものを何でも欲しがっていた子供が思うような自由を貫こうとすれば恐ろしく高い代償が必要だ。それは膨大な量の勉強であったり、仕事であったり、彼の場合には逮捕であったりした。

 

彼は自分は天才でもない普通の人間だというが、しかし彼には自由の代償を支払い続けるだけの気概を持っている。自由の対価である努力や責任をいとわない精神性、それを当然だと受け止め、更にその対価を「無理に決まっている」と投げ出さずに(自由を放棄せずに)向かっていく自信がある。そこが彼と凡人を隔てる差だと思う。飲み込みの速さやプログラミング、経営のセンスは付加的なもののように思う。

 

自由とは何なのか、そんなことは考えるまでもなかった。「したいことをする」という非常に単純な原理が自由であり、「自由には対価が付いている」という原理もまた単純だ。自由になる道はとてもシンプル。この著書はそう呼びかける。


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