研究会ブログ

2016年05月27日 Fri. May. 27. 2016

文化経済2016.5月講演レポート②/西畠清純氏

第83回文化経済研究会。

第1部の岩佐氏に引き続き、第2部はプラントハンター、そら植物園代表西畠清純氏にご登壇いただきました。

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西畠氏は植物を顧客に届けるために、世界中の砂漠、湿地帯、山脈地帯を飛び回り、その移動距離は年間で地球10週分に及びます。

 

「植物は宗教、国境、年齢関係なくきれいと思える次世代のコミュニケーション。オリンピックのスポーツと同じです。

次世代というか、本来は昔からそうだったんですが、今は忘れられつつある。だからもう一度それを復活させたい」

と西畠氏。


日本人が海外から植物を輸入してきた歴史は、少なくとも1500年に及ぶといいます。公園の樹木もほとんどは海外が原産。

野菜なども同じで、ネクタイが今やすっかり日本の礼服として定着したように、日本人は海外のものを柔軟に取り入れてきて日本文化としてきた歴史があります。

西畠氏が移植した植物の美しさに人々は感嘆しますが、同じ植物ははるか地球の裏側で同じようにその土地の人々に安らぎを与えていたのかもしれません。

正に植物は国境のないコミュニケーションツールです。

 

■歴史に寄り添ってきた植物

「歴史の影には常にプラントハンターがいました」

そう始め、プラントハンターと人類の関わりを話されます。

 

実はプラントハンターという聞き慣れないお仕事は古くからあったものだそうです。

プラントハンターという呼称こそ無かったものの、シーボルトやコロンブスは異国の地から多くの植物を持ち帰りました。

ゴッホがひまわりを描くことができたのもプラントハンターがそれを海外から持ち帰ったお陰と西畠氏。

 

他にもパラゴムの木をアマゾン川流域から持ち帰ったことによってコンドームが製造され、エイズの危機に脅かされていた人類が救われました。

植物は我々人類の祖先よりも遥か太古から地球上に居た大先輩。そのかかわりが深いのも当然と言えます。

 

■ブランディングには「溜め」が要る

遡ること100年前、温室が日本にほとんど無かったことに西畠氏の曾おじいさんは桜の木をその中で、育て顧客が求めるときに咲かせた状態で持っていくというビジネスを始めました。

今でこそビニールハウスは農産地に行けばどこででも見られるようになりましたが、100年前のそれは超斬新で花宇は大きく成長を遂げました。

しかし、5代を経て西畠清純氏が当主となったころには

「借金は2億って聞いていたのに4億もあった(笑)」

そうです。

若干20代でそれを背負い、新しい業態として「そら植物園」をスタートさせ認知度を向上。今や世界中から引く手数多のプラントハンターとして一大ブランドを確立させました。

最初のうちは客足も伸びなかったものの、

「何か成し遂げたいのなら、せめて10年は苦しい時期を我慢しなければいけません」

と西畠氏。

どうしてもブランディングには「溜め」るための時間が必要だといいます。

 

■「生かす」ためには下準備

その過程は植物を他国か運搬し、根付かせることに似ているそうです。

植物の輸入に日本は特に厳しく、土の一粒でも残ってそれが検出されてしまえば税関で焼却処分になってしまいます。枝や葉を払い落とし、恐ろしく入念に根元の土を洗い流してようやく植物は日本国内に持ち込むことができます。

ビジネスシーンでも実際の企画が目に見えて動き出すまでより、下準備の方により時間を掛けなければならない事情に通じています。

 

そしてアフターケアにも神経を使わなければいけません。西畠氏がオリーブの古木をスペインのアンダルシア地方から小豆島に移植した時、それが実際に根付いているかどうかに常に気を配っていました。

2年目に数個の実がなっただけでは、もともと木に内在していた養分がそうさせただけであって、地から栄養を吸い上げているかどうかは分かりません。

しかし、3年目には500個の実を付け、4年目にはそれが1万個になりました。

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 植物は数学的に確率を計算してそれが生き延びるための可能性を徐々に積み上げていくことが必要です。考えられる手段と状況を全て考慮に入れて最善を尽くすこと、これが「生かす」ということだと西畠氏。

目の前のものに対して、細心の注意と最善の気配りをもって打ち込む。

植物にもビジネスにも、人間関係にも通じている普遍性を学びました。

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