研究会ブログ

2016年07月15日 Fri. Jul. 15. 2016

文化経済2016.7月講演レポート①/田中康夫氏

7月14日に行われた第84回文化経済研究会のレポートをお届けします。

第1部ゲストスピーカーは、元長野県知事で作家の田中康夫氏。

 

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演題は「『暗黙知』の時代に問われる知性とは」。

 

■官と民を融かして

長野県知事時代に、脱ダムやガラスの知事室などで話題になり、特に「官vs民」という言葉が田中氏を表わすキャッチフレーズのように扱われていましたが、田中氏の認識はそこにはありませんでした。

 

「私が『官vs民』と言ったとマスコミが早とちりしていますが、選挙戦や衆議院議員時代も含めて、私はそんな言葉を一回も使ったことはありません。

何故なら、「官」の方々も住宅ローンに悩んだり、子どもの教育を願っている「民」だからです」

 

官と民の対立をいたずらに煽り両者を硬直させてしまうような言葉を、言葉のプロフェッショナルである田中氏はまず使いません。

前例の無いことはやってはいけない、前例の通りにやらなければならないという「官」の世界で杓子定規になってしまった心を「冷温停止しているだけ」と捉え、その心を「融かす」ことを目指されてきたのが、知事時代の田中氏です。

 

その鍵となるのが、田中氏が大切にされている「暗黙知」という言葉です。

 

■「暗黙知」の領域

「暗黙知」とは、ハンガリーの社会学者マイケル・ポランニーが使った言葉で、言語化されないが確かに存在している知や体験を指します。

 

「例えば自転車に乗るときに、両手でハンドルを固定しつつ、右の足をサドルに乗せて、力を入れながら左足も乗せます。

しかし、我々は自転車に乗るときにそんなことをその都度考えません。

説明ができない。でも何らかの判断がそこにはあります。

マトリックスで全てを説明する『形式知』ではないのです」

 

データやロジックには現れないものの、人間が何らかの判断をするときに最終的なよりどころとしているもの。それを暗黙知と呼んでもいいのかもしれません。

 

データに則れば、ある道の舗装は必要が無いかもしれない。

しかし、そこにもしもおばあさんが居て毎日の買い物が少しでも楽になれば……。

そう願う人の思いは、数字や経済効果だけを重視する「形式知」ではなく、それらを超えた「暗黙知」に基づいています。

 

■『彼は誰』の時

「夕暮れのことを『たそがれ』と言いますが、かつては『誰そ彼』という字を書いていました。薄暗くなって向こうに居る人の顔が分からない状態を言います。

日の出は『彼は誰(かはたれ)』という言葉がありますが江戸時代の初期には日没も日の出も『彼は誰』と呼ばれていました」

 

街明かりが夜をのみ込むのでもなく、日の出が街灯を覆い尽くすのでもない曖昧な状態。

それを田中氏は今の日本とアジアの状況に例えられました。

 

「今日本は少子高齢化社会の最先端国のように認識されていますが、出生率を見ればじきにベトナムやタイ、中国が日本以上の少子高齢化社会に突入することは明白です」

 

地球全体が高齢化するという、人類が未だかつて経験したことの無いフェーズに我々は向かっています。

そこで我々に必要なのは、「官や民」のように何かを二項対立的に捉えるのではなく、「誰そ彼」となんとなくではあるものの確かな感覚に基づいて日々を感じていた「暗黙知」ではないでしょうか。

 

AIやビッグデータなど、我々一人ひとりはこれからどんどんデータとして分類されていく時代が来ますが、人間の心までデータ化しないために必要なものを教えていただいた気がします。

 

●<追記> 弊社発行『構想の庭vol.2』において、田中氏に敢行したインタビュー記事のリンクはここから

「微力だけど、無力じゃない」、個人と言う社会の最小単位と、政治という曖昧で巨大なイメージを有機的に繋げる田中氏のお考えを収録しています。

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