研究会ブログ

2014年11月21日 Fri. Nov. 21. 2014

文化経済2014.11月講演レポート①/枡野俊明氏

文化経済研究会第74回セミナーのご様子をお届けいたします。

テーマは「日本の美意識」。

第1部は、曹洞宗徳雄山建功寺 住職に加え庭園デザイナーとして世界的に活躍されている枡野俊明氏。

IMG_5994.JPG

 

「私は禅のデザインということで活動をしていますが、世界的にはほんの20年前までは禅という言葉は全く浸透していませんでした。

そもそもヨーロッパの古い建物は基本的にはすべて石を積み上げて作っています。そのため窓を大きくすることが難しい。

対して、日本の建築物は柱、はり、軸という木の建築材が主役で壁は無くても成り立つ。そのため、例えばお寺などでも屋内と屋外の区別がなく、屋内に居ても庭を感じられるようになっています」

 

西洋の建築物の場合、建物が主で庭は従というようにはっきりしているそうですが、

東洋の建物にはその区別はあまり強くなく、庭も建物の一部という認識。

確かに、お寺などの本堂は庭に向けて空間が開放されています。

この曖昧な関係は禅ということと大きく関わっています。

 

「禅の思想においては、完全というものを目指しません。

例えばマイセンのティーカップは非常に均整が取れていて左右もほぼ完全な対照です。私はこれを“完全な美”と呼んでいます。

対して、例えば日本の抹茶茶碗は左右対称ではありません。表面には凹凸があり不均衡です。焼き加減によって焦げがついていたりもします。しかし、禅ではこの黒くなった部分を“景色”と呼び、それを美しいとします」

 

しかし、それだけに見るものの力量を問うのが日本の美なのだそう。

最小限の線と墨の濃淡だけで表現された水墨画は見る側に想像力による補間を必要とします。

そしてその心は、

 

「本来の自分と出会うこと」

 

にあるそうです。

生まれたときは誰しも持っている素直な美しい心に戻るために、禅の修業においては厳しい修行と質素な生活を通じて自分の中の色々な部分をそぎ落としていきます。

そしてようやく表れたもっともシンプルな自分に出会うことを「悟り」と呼ぶそう。

 

日本の美、禅の美はその最小の美しさ、無駄な物をとことんそぎ落とした美しさ。

月並みな感想ですが、物質的な豊かさと飽食をさんざん享受している今の我々日本人は、先祖の持っていた意識からずいぶん遠くはなれたところに来てしまった気がします。

 

ここ最近海外でZENが流行しているということでようやく日本でも禅に目が行き始めていますが、なんだかそれも情けないような話。

我々の国で培ってきた小さなものや移ろい行くものを美しいと感じる微妙な心を取り戻していきたいですね。

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