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8月28日(土)、
折しも浅草はサンバカーニバルの熱気に包まれていたが、
それとは対照的に晩夏とは思えないような
強い日差しと蒸し暑さの中で緩い時間が流れる向島。
この日、江戸美学研究会は虫きき&浴衣で夕涼み。
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向島百花園は、文化二年(1805)に北野屋平兵衛こと、
佐原鞠塢(さはらきくう)が当時の文人墨客たちの協力を得て創立。
園内には梅をはじめ、万葉集や詩経にある植物を配し、
四季を通して花が絶えることはない花園として江戸の人々に愛された。
まだ秋の花には早いが園内で虫かごをもらい
松虫や鈴虫、蟋蟀、キリギリスを好きなところに放ち、
日が暮れて蝉に変わり秋の虫たちが鳴き出すのを待つ。
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名も知らぬ花に感動し、まだ鳴かぬ虫の音に時折、耳を澄ます…、
園内を散策しながら日暮れを待つのんびりとした時間は新鮮。

江戸の人々の豊かな表現はこうしたものから
生まれたのかもしれない、
と思わせるひとときだ。
日暮れとともにぼんぼりや灯籠に灯が入ると、
それぞれの着物が陽の光とはまた違う魅力を見せはじめる。
そして虫も静かに鳴きだし、気がつけば、涼しい風が浴衣の袂を取っていく…。

何気ないことだが、素敵な時間の過ごし方だ。
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江戸のデザイン研究・商標の第3回目は、
江戸の庶民的なお菓子「永代団子の商標」です。

団子は奈良時代に伝来した
唐菓子の一つ団喜(だんき)に由来するもので、
奈良・平安時代以降、端午や仏へのお供え物で、
彼岸や盂蘭盆・枕団子の様に仏事に供えたものが、
十五夜にも供えられたものと考えられています。
質素を旨とする農家では、くず米の粉や、
雑穀を混ぜて日常の食料にしたようです。

江戸時代になると、
飴と並んで庶民的なお菓子として食されていた団子ですが
都市部や街道筋では甘味付きの団子が作られ、
庶民の茶席や行楽の御供としても愛好され
団子を売る店や行商人も多かったたようです。

江戸名物の団子で今でも繁盛している
「根岸の羽二重団子」「向島の言問団子」や
文献に残っていて店の所在地が名称の由来と考えられるものに、
隅田川下流の永代橋際の店「永代団子」、
日本橋室町浮世小路の店「浮世団子」、
麻布飯倉片町には、亀の見せ物で評判になった「お亀団子」、
御蔵前瓦町の「丸屋大団子」、浅草芳町の「喜八団子」。
また、あやめの花の形に似ていることから
名付けられた「菖蒲団子 」などが有名で、
「団子も餅の付き合い」と言う様な諺があるように、
餅と同じように庶民の口に馴染んでいたようです。
永代団子の店は隅田川にかかる永代橋の西詰、
日本橋側にあった店で2店あったそうです。
この店は夏の頃には通行人に湯・茶の接客サービスをして
たいそう賑わっていたようです。
団子は串にさして売るのが普通で、宝暦(1751−1764)のころまで
1本に5個さして5文だったそうです。

 


さて、永代団子の商標は、
古くから伝わる黄金比(調和的で美しい比率=約1.6対1)の
縦長のサイズでデザインされています。
商標の外側は黒枠で締め中面は白地にして天地を4分割にわけています。
上部四分の一には家紋の中では最高位と言われる
「桐紋」を中央に配しています。
この「桐紋」は統制が厳しかった「葵紋」とは異なって、
町人も使うことが許されていたようで「江戸名所図絵」には
目黒不動の飴屋「桐屋」にも五三桐の大きな暖簾が
かかっているのが描かれています。
永代団子の商標の上部には、さらに「本家」「元祖」の文字をあしらい
店の格の高さを表していると思われます。

四分の三にあたる下部の中央には「永代だんご」の
文字を大きくどっしりと据え
強さの中にリズミカルな筆跡で印象に残るフォルムを表現しています。
右には場所と店名。左には店主の名前を記して
コミュニケーションすべき要素がしっかりと押さえられています。
この商標を現代のショップアイデンティテーに起用したら
とても個性的で老舗感の高い面白いデザインが出来上がるなと感じました。

追伸:団子の好きな人は、今でも繁盛している下記の2店をご覧ください。
「根岸の羽二重団子」 http://www.habutae.jp/history/origin/
「向島の言問団子」http://kototoidango.co.jp/

 

江戸美学研究会では、江戸好きのメンバーを募集しています。
江戸の文化を一緒に楽しんでいただける方、ぜひ、ご登録ください。
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豊かな四季を持つ日本には、
その変化を存分に楽しむ文化が育まれてきた。
平安の頃、貴族たちの間で嗜まれていたものが武士に広まり、
江戸中期になると庶民たちの間でも親しまれるようになる。
その一つが虫の声を愛でる「聴蟲(むしきき)」である。
「聴蟲」の江戸の名所は、上野の不忍池、王子の飛鳥山、谷中の道灌山。
江戸名所図絵にも道灌山の様子が描かれている。

「……この地薬草多く、採薬の輩(ともがら)常にこゝに来れり。
殊に秋の頃は松虫・鈴虫、露にふりいでゝ清音をあらはす。
依って雅客幽人こゝに来り、風に詠じ月に歌うてその声を愛せり。」
                                                   「江戸名所図絵」 道灌山の項より


現在も、「聴蟲」を行っているのが、墨田区向島の百花園「虫ききの会」。
この会のはじまりは、仏教の不殺生の思想に基づいて、
捕らえられた生き物を山野や沼地に放ち供養する仏教の儀式
「放生会(ほうじょうえ)」が原型となり、
天保二年八月二十九日に没した文人初代佐原鞠塢を
追善するために縁者がこれを行ったことが始まりといわれている。
その後、夕涼みをしながら虫の音を楽しむかたちとなり

今に続いているのだという。
……………………………………………………………………………

今回、江戸美学研究会では、百花園にて虫の音を楽しむことに。
夏着物、浴衣で楽しむ、夕涼み。
ご一緒に静かな時間を過ごしませんか。

参加していただける方は、下記よりご登録ください。
詳細をお送りいたします。
また、江戸文化に興味をお持ちの方、
一緒に活動していただける方のご入会もお待ちしております。
入会は無料、ミニセミナーやミニツアーのご案内、
取材こぼればなしなど、メルマガにてお送りいたします。
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江戸のデザイン研究・商標の第2回目は、
お茶と海苔で有名な「山本山」です。
山本山は、元禄三年(1690年)、初代山本嘉兵衛さんが
宇治の美味しいお茶を
「より多くの人に楽しんでいただきたい」という思いのもと
京都より江戸・日本橋に出て
お茶・紙類を商った事が始まりだそうです。


ここに上げた商標は「江戸時代名物集」のものであり
細長い形状から茶袋などに貼ってあったものと推測できます。
マーク的なものが上部にありますが
これは、山本嘉兵衛の名字の「山」を
形状的な山型のフォルムにし、
その下に山本嘉兵衛の「嘉」を配置して

マークにしたのが解ります。
このマークは現在でもコーポレイトマークとして使用されています。

この商標にはまだ「山本山」の文字は現れていませんが
「山本山」の店名がネーミングされたのは
江戸期に発売され、とても好評であった
宇治煎茶の商品袋に縦書きに「山本山」と
書かれていたことからそのようになったと言われています。
「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」と

言われていますそのルーツは、
この江戸時代の当時から由来したもののようです。
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上記の写真は明治20年頃撮影された山本山のお店です。
日本の伝統食品であり日本人の食卓に欠かせない商材としての
海苔は昭和22年(1947年)より販売を開始したようです。
保存技術がまだ発達していない時代、お茶に香りが移らなく、
海苔の仕入時期が11月〜3月と、
ちょうどお茶の仕入時期(4月〜10月)の後になり、
1年を通して仕入と販売が出来るために販売をしていたそうです。




現在使われている社名ロゴの揮毫は
漫画家であり作詞家でもあった岡本一平(1886-1948)の父で、
書家の岡本可亭(1858-1919)によるものだそうです。
ちなみに、芸術家の岡本太郎(1911-1996)は

岡本可亭の孫にあたります。
岡本可亭の創作した社名ロゴは男性的で堂々とした風格があり、
どっしりとした形状から老舗の気質と伝統が感じられます。
山本山のロゴの2つの「山」は、それぞれ違ったフォルムで
書き順が異なっているのが面白いです。
上の「山」は真ん中から書き始め、

もうひとつの「山」は左端から書き始めているということが、
ハネの方向やつながり方で判断できます。
書き順ひとつをとっても

このように個性が出るものなんですね。

中ほどにある店の絵は、同店緒の大看板を描いたもので、
安政年間の「強化扶桑名処名物集」から掲載したものです。

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去る7月31日は隅田川花火。
今年は前日に400メートルを超えたばかりのスカイツリー効果も
手伝ってか観客は約95万2000人(主催者発表)。
打ち上げられた花火は2万発。
1時間半にわたり華やかな大輪の花が夜空に咲いた。

隅田川の花火の始まりは、今から277年前の享保18年(1733)に
八代将軍吉宗が前年の大飢饉と疫病コロリ(コレラ)による死者の霊を
慰めて厄災を払うために隅田川両国で川開きを行い、
花火を上げさせたのが始まりといわれている。
朝顔に引き続き、能書きはよしとして花火をご堪能あれ。
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爆音と振動、微かに流れてくる火薬の匂いがお伝えできないのが残念。
涼しい家でのテレビ中継もよいが火の粉の降るさまを
間近で体験してほしいもの。
江戸の時代から受け継がれた夜の美は妖しくもあり、儚くもあり……、
まさに真夏の夜の夢。


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