江戸の生活文化: 2011年11月アーカイブ

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11月26日は、いよいよ三の酉。
日付がかわる頃には、今年一年の感謝、
そして新年の幸運を願って
多くの人が酉さまに駆けつける。
江戸の遊び心と洒落が盛り込まれ、徐々に華やかなものになった熊手だが、
もともとは近郊の農家の副業だったと語るのは
長年、浅草鷲神社に店を出す「八百敏」の清田一彦氏。
上の写真の立派な熊手も清田氏の手によるもの。
注連縄や俵、お多福もみな手作りだ。
一年かけて作った熊手が日の目を見るのは酉の市だけ。
寒風のなか、準備に三日間泊まり込むという。
三の酉まである年は大変だ。
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                                                                                                                                                                PHOTO:KATSUMI YOSHIDA

さて、熊手の買い方をご存知だろうか。
最初から大きなものを買うのではなく、年々大きなものに買い替えていく。
福に感謝し、育てていくのだ。
そして値切ってまけてもらった分はご祝儀として店に渡す。
これも福を独り占めしない江戸っ子の「粋」。
必ずそうしなければならないという慣らいではないが、
みんなが幸せに、気持ちよく年を越したいというのが江戸っ子の美意識なのだ。

最後に三の酉の年に火事が多いと伝えられるのは、
お酉さまを口実に吉原に通う亭主を足止めするために
女房たちが言い出したものと
いう説が有力ともいわれる。
ひと月に三回も吉原通いをされたんじゃ、
そりゃぁ、たまったものじゃない。
「お前さん、三の酉までの年は火事が多いっていうじゃぁないか。
外をふらついてて火事にでもなったらどうするんだい」
なんていう会話が、すぐそこから聞こえてきそうだ。
………お多福に熊手の客がひっかかり………

※江戸美学研究会編集2012年版『江戸帖』でも八百敏のご紹介をしています。
http://www.jlds.co.jp/edotyo/2011/07/post-3.html
 



 

本日は11月14日「二の酉」。早朝よりお参りに行ってきました。
境内に所狭しと飾られた熊手は、翌年の運を「かっ込む」、
福を「はき込む」という洒落がきいた、開運招福・商売繁盛を願う
江戸っ子の気持ちが込められた縁起物です。
熊手には枡、俵、注連縄、鶴、亀、松竹梅、おかめの面、
小判など様々な縁起物が付けられ、とても華やか。

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一方、もともと江戸時代に作られていた熊手はとてもシンプル。
「お守り」としての性格が強かったため、注連縄などに垂らされる
「四手(しで)」が必ず付いていたのだそうです。
そして飾りが少ないかわりにしっかりと見える熊手のツメが、
力強く福をかき込んでくれそうです。
境内の「ギャラリー」には、江戸時代の熊手が再現されて飾られていました。

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こちらの浮世絵よく見ると、右の女性の髪には「かんざし熊手」が。
すぐ裏手の吉原で人気があったそう。
左の女性が持つのは、「頭の芋(とうのいも)」。
「人の頭に立つ」、また芋は小芋を沢山つけることから
「子宝に恵まれる」とされ大変人気があったそうです。
現在も、浅草酉の市では頭の芋を扱うお店が出ています。

三の酉につづく、

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