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2010年3月 8日 復刻版の力。
『婦人画報』の創刊号の復刻版を、 アシェット婦人画報社の谷口恭子氏よりお送りいただいた。 明治38年7月1日号、創刊号の復刻版である。 時代の文化が香り立つようである。 まさにメディアは時代の申し子、 その時代の空気感、背景、生き方、価値観まで見事に映し出している。 すごい、というのが感想である。あらためて復刻版の力を思う。 その時代を凝縮するメディアとして、復刻版以上のものは ないのではないか。そう思わされる。 この雑誌をはじめて手にした人、読んでいる人、それらの人々がどのように感じ、 どのような未来を思い描いたのか。 明治という時代が、ページの隅々まで染み渡っている。 一気に時間を越えて、明治38年に戻った。 『婦人画報』創刊号の復刻版に感謝。
2010年3月 2日 瞬間芸術。
その存在そのものが、美の化身というべきである。 花と向き合う華道は、それゆえ、美そのものと直接向き合うことになる。 ダイレクトな美との交信なのである。
勅使河原茜さんより、第91回草月展『展覧会のいけばな2010』をいただいた。 ページをめくれば、美の繚乱である。 人と花のエネルギッシュな格闘のようなものを感じる。 花を立体のドラマとしてとらえ、 お客に背中を見せて生けるのではなく、お客のほうに向けて花を生ける。 そのような積極的な姿勢も感じられる。 花が社会と関わろうとしているのだ。 その一瞬、その瞬間、草月の花は生きている。 瞬間芸術の不断の連続体として 現代と向き合う美意識が草月の基本とも言えそうだ。
2010年3月 1日 発想と発酵。
デザイナーの杉本貴志氏の出版記念パーティにお招きいただいた。 その本がこの『杉本貴志のデザイン~発想/発酵』(TOTO出版)である。 杉本氏の発想を発酵させる、いわばビジュアルコンセプトブックであり、 発想というものが、いかに多様な刺激によって生まれてくるか、よく分かる。 発想は泉のごとく涌き出る。必要に迫られて涌き出るのではなく、 溢れて溢れて止めどがないのだ。 発想は常に出口を探している、個人文化の涌水なのだ。
閃きとかアイデアというものは、外から飛んでくるのではなく、 自己の内部に蓄積された多様な要素が、 ある意外な組み合わせによって結びついたときに生まれてくるのだという。 その意味で発想はまさに内部発酵の産物であり、 いかに学んで自己化することが重要かということだ。 学習に定番はない。すべての学習は自己学習であり、 その意味で独学だということができる。 本書も杉本氏の独学の一環だということができよう。 そこから涌き出てきた泉である。 2010年2月24日 野菜の力。
野菜の時代が来た。 肉食動物は草食動物を食べ、 草食動物は草を食べ、 草は光合成でできる。 食べ物のルーツは太陽であり、その受け皿は野菜なのだ。 野菜が持っている根源的な力を、みな直感し始めているのだ。 その色彩の豊かさ、土から生まれてくるという圧倒的な生命感。 まさにベジタブルの時代である。
友人の相羽高徳氏が1冊の本を送ってくれた。 『東京ベジタリアンレストラン厳選ガイド』(河出書房新社)である。 相羽氏は「新横浜ラーメン博物館」「NINJAAKASAKA」など、 話題の施設を手がけてきた。
「不老長寿」をテーマにした、 マクロビ創作料理などを味わえる店として紹介されている。 地球の時代は野菜の時代だろう。
2010年2月23日 STRAMD
「企業経営を"デザイン思考"する実力派ビジネス人材育成プログラム」 である(同校HPより)。 Strategic Management Design in Kuwasawaの頭文字から 作られたネーミングである。 さらに引用させていただけば、 「《STRAMD》は、新しい時代を考えそのニーズに対応する教育プログラム」とある。 まさに世界は経営デザインの時代に入った。 デザインとは思想、ミッションを実際の経営活動につなぐ全体構築のことであり、 都市経営、地域経営、企業経営、国家経営、広くは地球経営のことを指す。 もはや個人の生き方から地球経営まで、デザインでないものはない。 講師陣も内田繁氏、中西元男氏、紺野登氏、河野龍太氏、金子英之氏と充実しており、 21世紀の経営デザインに大きな影響力を持つに違いない。 ご発展を祈る。
2010年2月22日 美学の系譜。
金子國義氏の展覧会を拝見してきた。 金子國義といえば、四谷シモン、高橋 睦郎などと共に、 大きくは澁澤龍彦の系譜に連なる人である。 その流れはフランスの美意識だ。
私は父がフランス文学者であったこともあり、 この美意識の流れには親炙してきた。 父はジャン・コクトー、ボリス・ヴィアンの研究家であり、 「日々の泡」は父の訳だった。 そういう意味で、私は幼いころから、ある美意識の流れの中で生きてきた。
常識の境目を超えた時に次なる美を生み出す。 美は常識を突き破って歯止めを失った時にこそ、 その新しい様相を見せるのだろう。 変革は常識を超えた時にこそ誕生する。 金子國義氏の展覧会を見ていて、そんなことを思った。
2010年2月17日 京都精華大学流。
一冊のアルバムが送られてきた。 卒業生のアルバムだが、注目すべき点は、 卒業生のプロフィールとその作品がすべて掲載されていることだ。 同大学はアートが中心だが、卒業生はその時点から一個のアーティストである。 どのような人で、どのような作品を作り、どのような作風なのかが、 社会と卒業生をつなぐリンケージだ。 その意味で、大変優れた卒業生紹介になっていると思う。 アートの多様性がますます広がる中、 個人のアーティスト性が問われている。 京都精華大学流に注目したい。
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