東京の銀座に威容を誇り、名物でもあった歌舞伎座が
4月興行を最後に建て替えられることになり、
4月末にはその姿を消してしまいます。

三年後には、また新しい歌舞伎座がお目見えするとのことですが、
なんかやはり淋しい気がします。
しかし、歴史を見てみますと歌舞伎座は、明治22年(1889年)に、
東京の木挽(こびき)町に開場して以来、
今年はおよそ120年の月日が経ち、
その間、4回建て替えられています。
大正時代に火災に見舞われたのをはじめ、
大正の関東大震災、昭和の東京大空襲に遭遇し、
現在の建物は昭和26年に建て替えられたもの──、
約60年程前のことです。

太平洋戦争の傷跡も癒えぬ殺伐としていた当時、
歌舞伎座の復興はそれだけでも
どれほど国民に勇気を与えたかしれません。
焼跡の残骸も残り、食糧事情も悪く、経済も不況で
戦争に負けた今後の日本はどうなるのかと、
暗い気持ちであった日本人の心を明るくしたのでした。

今は亡き、初代中村吉右衛門、市川猿翁、七代目坂東三津五郎、
三代目中村時蔵を中心に重々しく幕を開けました。
その時観た「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」をはじめ、
数々の舞台は未だにはっきりと脳裏に残っています。
それからどれほど通ったか判りませんが
思い出は尽きません。

歌舞伎見物というとお芝居を観るだけと思っている方が
多いようですが、そうではないと思います。
観る楽しみはもちろん、美味しいものを食べる楽しみ、
親しい人たちと話をする楽しみ、
晴れの着物を着てお洒落をする楽しみ等、
色々な楽しみが含まれていて、
それらが一緒になって芝居見物というのではないでしょうか。

歌舞伎座の中には「吉兆」という高級料亭をはじめ、
食堂、蕎麦や、カレーライス店、コーヒーショップ等、
沢山ありました。
また、売店もお洒落グッズからモナカアイスに至るまで
幅広い賞品が並んでいました。

そうして幕間も楽しく過ごせたものでした。

外観の歴史も写真で見ますと洋風、日本式宮殿風、現在の桃山風と
変わってきています。
今後3年後に開場する新しい歌舞伎座はどんな建物になるのでしょうか、
どんな内部になるのでしょうか、今から楽しみです。

塚田圭一(つかだ・けいいち) 
1934年、東京生まれ。
早稲田大学文学部演劇学科卒業。学生時代から歌舞伎にいそしむ。
卒業後、卒論のテーマだった『小芝居』の取材のために通ったかたばみ座に在籍。
その後、菊五郎劇団を経てフジテレビ開局時(1958年)に入社。
主にドラマの演出で活躍するかたわら、歌舞伎座等のイヤホン・ガイドの
解説をスタート時から担当している。
現在はフジテレビを経て共同テレビジョン代表取締役会長。数々のイベントに取り組む。
著書には「歌舞伎・ザ・エンターティメント」「平成歌舞伎委員会」(扶桑社)がある。

歌舞伎には、大別すると時代物、世話物、所作事、新歌舞伎の
四種の演目があります。
慶長八年(1604)に発生し、当初はレビューのような踊りだったのが、
元禄年間のころから大変に成長し、数々の名作が生まれました。
現在、上演されているお芝居の大部分は、
その時代以降の江戸時代に作られたものです。
ですから、江戸時代の人たちから見た「時代劇」──、
つまり江戸以前の時代が舞台になているお芝居を時代物といいます。
それに対し、江戸時代を舞台にしたお芝居「現代劇」を
世話物と称しています。
他の2つ、所作事は踊り、
新歌舞伎というのは明治以降に作られたお芝居です。

挿絵02-歌舞伎.jpg

従って、ここで取り上げるのは当然、世話物。
歌舞伎を知る上で、江戸の庶民の生活をいろいろと見ていきたいと思います。
江戸時代の江戸は開府当初は16万人くらいの都市でしたが
あっという間に100万人都市に膨れ上がりました。
しかし、当時の地図を見てみると、その70パーセントに当たる
中央部分が、地方の大名の江戸屋敷をはじめ、
それに関係するお武家屋敷ばかり。
残りの30パーセントの土地に
庶民がひしめき合って暮らしていたわけです。
人口比でみると70パーセントの中央部分に30パーセント、
30パーセントの土地に70パーセントの人が住んでいました。
現在の東京大学は加賀百万石の江戸屋敷跡に建てられたもの、
あれだけをみても如何に広大な土地を占有していたかが判ります。

一方、庶民の方は、猫の額ほどの土地にひしめき合って
生きていたわけですから、たまりません。
その中にも寺地も沢山ありますし、
表通りのよい場所には「伊勢屋」「近江屋」「越後屋」など
地方の豪商が進出占拠しています。
大工とか、左官とか、ぼて振り(天秤棒を担いで物売りをする人)など、
いわゆる一般庶民は、長屋住まいを余儀なくされてしまうことに……。
幅九尺(約3メートル)、奥行き二間(約4メートル)の
いわゆる九尺二間と呼ばれる空間の中で、
それも棟続きの長屋で棲息していた人が多かったのです。
でもだからこそ、人情の機微も生まれ、
様々なドラマが生まれたのです。

 

挿絵03-長屋.jpg

 

※長屋については、江戸の生活文化のバックナンバー「江戸のエコスタイル②」をご参照ください。

塚田圭一(つかだ・けいいち) 
1934年、東京生まれ。
早稲田大学文学部演劇学科卒業。学生時代から歌舞伎にいそしむ。
卒業後、卒論のテーマだった『小芝居』の取材のために通ったかたばみ座に在籍。
その後、菊五郎劇団を経てフジテレビ開局時(1958年)に入社。
主にドラマの演出で活躍するかたわら、歌舞伎座等のイヤホン・ガイドの
解説をスタート時から担当している。
現在はフジテレビを経て共同テレビジョン代表取締役会長。数々のイベントに取り組む。
著書には「歌舞伎・ザ・エンターティメント」「平成歌舞伎委員会」(扶桑社)がある。

 

歌舞伎は慶長八年(1604年)に、出雲の阿国が京都で「かぶき踊り」を
興行したのが始まりとされています。
慶長八年といえば、徳川家康が江戸に幕府を開いた年です。
つまり「江戸時代」の最初の年です。
そのころは人口16万人位の年であった江戸も
ぐんぐん成長し世界に冠たる100万人都市となりました。
歌舞伎もそれに比例するように発達し、
元禄時代に入ると大きく開花したのです。

江戸には市川団十郎、上方には坂田藤十郎という大スターが出現し、
作者も近松門左衛門、音楽の方でも竹本義太夫等、逸材が揃ってきました。
テレビも、ラジオも、映画もない、新聞も週刊誌もなにも無い時代です。
現在のメディアの総合的な機能を持っていたといっても
過言ではないでしょう。
何か事件があれば、すぐそれを舞台で取り上げたりもしてましたから
テレビのニュースショウを見るような楽しみもあったに違いありません。
舞台で俳優が着る衣装も、すぐに真似たりする人が多く、
ファッションの原点でもありました。
デザイン、音楽も歌舞伎から生まれたものが多く、
流行語も数多く流布しました。
歌舞伎以外には、他にこれといった娯楽は無かったわけですから、
民衆が熱狂的になったのも想像に難くありません。
ですから、江戸を考察しようとする場合、歌舞伎は大変に重要です。

幸い現在も歌舞伎は盛んに上演されています。
江戸時代に作られた数々の名作が今も見られるわけですから、
こんな貴重な生きた資料は他にありません。
当時の生活習慣から、衣裳、頭髪、言葉等にいたるまで
手にとるように判ります。
義理、人情、仁義という言葉を聞いただけで
毛嫌いする人も多いようですが、
その中には現代の人が忘れてしまっている美しい心が
感じられるお芝居も結構あります。
なんといっても伝統芸能の最も代表的なものです。
我々の先祖が作り上げた偉大な文化です。
日本人である以上、是非観て頂きたいと思います。
いろいろな角度から江戸を知ることができるはずです。

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