江戸の生活文化: 2009年12月アーカイブ

今年もあと僅か。
今も昔も、よい年を迎えるために暮れは、縁起物を求める人で賑わう。
「春を待つ   事のはじめや   酉の市」と芭蕉の弟子其角が詠んだように
酉の市は江戸時代、正月を迎えるための最初の祭だったそうだ。
酉の市の名物、熊手は、「福をはき込む」「運をかっ込む」「客を取り込む」
といわれ、開運招福、商売繁盛といわれ、人々がこぞって買い求めた。

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当時の飾りは、おかめの面、宝船、米俵が人気だったそう。

酉の市の起こりは、現在の足立区花畑にある「鷲大明神」だといわれる。
近在の農民が収穫祭として、「鷲大明神」に鶏を奉納し、終わるとその鶏を
浅草寺まで運んで観音堂前に放したのだといいます。
以来、各地の鳥に由来する名のついた寺や神社で11月の初めの酉の日
に酉の市が立つようになったのだそう。



酉の市と並び、年の暮れを飾る華やかな市といえば、羽子板市。
羽子板市は、もともと歳の市と呼ばれ正月用品や縁起物を売るため
の市であった。数多くたつ市の中でも一番のにぎわいを見せたのが
十二月十七日の浅草寺の歳の市であった。
それが、現在羽子板市として独立した形となっている。


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羽子板は、運を跳ね上げるといわれ、これも縁起物。
文化文政に盛んになった押し絵羽子板のメインは歌舞伎役者のもの。
みな贔屓の役者を模したものをこぞって買い求めた。

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