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谷口正和 プロフィール

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2008年3月26日

小路の街、京都

京都は碁盤の目のように道が交錯している街だ。

小路が何重にも交錯して、京都という方丈の街を創りだしている。

まさに蕪村の一句、「ほととぎす平安城を筋違(すじかひ)に」である。

 

中でも花見小路は、今も祇園の街そのものであり、

京都の風情を楽しむにはうってつけの小路だ。

まずはきざみきつねうどんで有名な「権兵衛」の店構え。

こぶ、かつおのだしに、九条ねぎを細かく刻んでかけた、

いわゆる京うどんで有名な店だ。
 

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こちらはかの「一力」。有名な朱色の塀は、

天皇様の御所が白い塀、町衆が同じ色では恐れ多いと黒い塀、

では祇園は遊び場なので華やかに「朱」ということになったのだとか。

色ひとつにも物語があり、薀蓄がある。歴史の面白さは奥深い。
 

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2008年3月24日

山東昭子さんとセブンティーンクラブ

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参議院副議長公邸へ、山東昭子副議長をお訪ねした。

公邸の立派さと広さに驚かされたが、

考えてみれば副議長のような公的なポジションは、

考える以上に対外的な公務が多いのだろう。

そのためのステージが公邸なのだ。


さて私と山東昭子さんは、

「セブンティーンクラブ」の仲間である。

セブンティーンクラブとは、昭和17年生まれの人たちが、

何か社会の恩返しができないかと

集まった親睦的な集まりである。

昭和17年世代は、戦中世代とも言い切れず、

また戦後世代でもない。

位置的には煮え切らない世代である。

しかし同じ時代から生まれた「時代の子」として、

共感も共鳴もある。

その力をばねに、感謝の世代、恩返しの世代として、

何かを生み出せればいいと願っている。

どのような「時代の子」も、

いつか時代に対して恩返しの時が来る。

 

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2008年3月18日

日々の泡と父と

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アメリカのハードボイルド小説などの翻訳で知られる佐々田雅子さんが、

ボリス・ヴィアンの『日々の泡』の紹介をしていた

(週刊新潮3月13日号「私の名作ブックレビュー」)。

ボリス・ヴィアンは前衛的な作風で

知られた作家であるが、

『日々の泡』はその彼の代表作である。

肺に睡蓮の花が咲く少女など、

悲痛な奇想に満ちた恋愛小説であり、

1968年五月革命当時のフランスの若者たちに

多大な影響を与えたバイブル的作品である。

写真がかすれていてちょっと見えにくいが、

訳者をあらわす括弧内に「曽根元吉」とある。

私の父である。

曽根元吉とは京都大学仏文科教授であった父の詩人名であるが、

父はジャン・コクトーを中心にフランス文学に生涯を捧げた。

ある時代の若者たちの精神を形作った『日々の泡』という不朽の名作とともに、父の名が語り継がれることは、私にとってひそかな誇りと喜びになっている。

 

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2008年3月14日

生命美戦略としての花

花1.jpg花の存在戦略は

「美しく目立って他者の目を引く」ことにある。

それは虫であったり、

鳥であったり、

人であったりする。

そのような「魅力」によって、

蜜が吸われ、

花粉が運ばれ、

花自体が存続でき、

また生命の循環も行われるのだ。

 

写真の花は紀ノ国屋等々力店の店頭に

あったものである。

 

まさしく店頭、店のゲートの位置に

「花屋さん」があった。

花の存在戦略が「美しく目立って他者の目を引く」

ことであれば、「ゲートに花屋さん」は

紀ノ国屋全体の集客装置として正しい戦略といえる。

生命美戦略としての花だ。

まず美しいものを見せよ、

顧客のエモーションに触れろ、

美によって顧客のモチベーションとシンパシーを高めよ。

美意識の時代の戦略は、まさに芸術のような行為に似てくるのだ。

 

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2008年3月12日

越境するアーティスト

 

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私の古くからの友人、小高辰也氏の作品をご紹介する。

彼は本来はグラフィックデザイナーだったが、

あるときからインテリア作品や造形作品に越境し始めた。

初期の作品である合板打ち抜きの恐竜などの

アニマルクラフトシリーズをご記憶の方もあるかもしれない。

長野県蓼科に工房とギャラリーを持ち、

最近では写真に見られるようなユニークな立体作品に挑んでいる。
本来アーティストとは狭い表現領域に縛られないマルチアーティストであり、

彼らはジャン・コクトー、アンディ・ウォーホル、最近ではエディス・スリマンなどに

見られるように、垣根を超えて自由に越境する。

アーティストの翼を誰も畳むことはできないのだ。

翼を持ったクリエーター、小高氏の今後にご注目いただきたい。

 

2008年3月10日

巣立ちの時

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桑沢デザイン研究所の卒業制作展を覗いてみた。

同校は創立者・桑澤洋子さんが私塾として立ちあげたものであり、

数多くの才能を排出したデザイン専門学校として知られる。

私は同校で年1回集中講義を行っている。

卒業生たちによるファッションショーをビデオで見た後、

数多くのテキスタイルの提案作品を拝見した。

若さとはいいものである。発想に迷いが無く、こちらの

心にスパッと切り込んでくる。これからは「構想力とク

リエーション」の時代だが、これらのクリエーションが

どのような場を得て、全体の構想力と結びついていくか、

大変楽しみである。感性は論理と結合したとき

に、はじめて説得力を持ち、ひとつの世界を形成する。

「巣」とはもともと「集まりとどまる」という意味だ。

その居心地のいい巣から若者は個人となって巣立つ。

若者の創造力が世界目線と重なったとき、

本当の日本の文化発信が生まれるだろう。

 

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2008年3月 6日

最新拙著が紹介された。

日本マーケティング協会の機関誌『マーケティングホライズン』の2月号の

Editor's Choice欄に、一番新しい拙著『時間単位の市場戦略』(講談社)が取り上げられた。評者は元プレジデント編集長

でマーケティングホライズン編集委員の川嶋保氏である。

 

拙著で面映いが、一部ご紹介させていただく。

 

・・・・・・「価値創造の時代といわれる。そのコンセプターとして

谷口正和さんは先端を走り続けている。知的行動派である。才気煥発である。

谷口さんはそんな、抱えきれないで溢れ出すような価値創造の卵や芽を、

本のかたちで発信してきた。谷口さんは、いま物の価値創造、情報の価値創造、

サービスの価値創造のいずれもが、新しいパラダイムの前に立ちつくしているという。

その突破口は「時間」にある、時間を価値創造の中軸に据えれば、

視力が上がり視界が広がると説く。

<不変>を踏まえての変化対応の青写真である」・・・・・・。

 

過分ではあるが的確な評価に心より御礼申し上げる。

皆さんには店頭でパラパラとめくっていただければ幸いである。

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2008年3月 4日

スピリチュアル八坂神社

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  先日京都に行ったとき、八坂神社に立ち寄った。

ちょうど夕方から夜に入る時刻で、まさに「間(あわい)」だった。人と神、物と心の境界線の時間である。

最近願掛けの絵馬の数がかつての2倍になっているという。初詣が史上最高を記録したり、屋久島の縄文杉

が人々の心をとらえ始めている。

 一歩踏み込んで考えれば、私たちは「魂」の時代に入っているのだ。

英語で言えばスピリチュアル=霊魂、精霊の世界である。

 

 私たちは近代と科学によって、物は見えるものであり、

見えないものは無いものという即物的世界観を叩き込まれてきた。

しかし時代が反転し、物より心の重要性が叫ばれるようになると、

主役は「見えないもの」としてのスピリット、心、魂ということになる。

神事においては夕刻と夜がその主な舞台となるのも、

「見えざる場に本質は宿る」という、日本人本来の思想の表れだろう。

闇が迫りつつある中、光と影の演出によって人間と魂の境界線の間(あわい)を表現する八坂神社は、

まさにスピリチュアル・トポスでも言うべきものだった。


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