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2016年7月 1日 16:56

今週のIMAGINASでは、以下の事例が朝日新聞6/28から報告されました。

 

「「声ノマ 全身詩人 吉増剛造展」と題された異色の個展が東京国立近代美術館で開催中。

 

詩の世界では吉増ブームで、著作の刊行も相次ぐ。だがその作品は難解で、2ミリ程度の極小文字を使うなど、判読不能な原稿も。

現代詩の世界で、吉増は谷川俊太郎と双璧をなす存在。年を重ねるごとに表現は先鋭化。最新詩集『怪物君』では、

「アリス、アイリス、赤馬、赤城/イシス、イシ、リス、石狩乃香(いしかりのか)」

など、意味を考え始めると読者は頭を抱える。しかもこれらの詩句にはルビや傍点などの記号、大量の脚注が付く。

 

吉増と交流がある写真家の荒木経惟は「言葉ができる以前の言葉を綴っている。あの世で経験したことを報告しているといっても良い。本人も理解してくれとは思っていない。感じればいい」と話す。」

 

谷口は「変人共感力。訳のわかるものより、訳のわからないものが時には突き抜けることがある」

とコメント。

 

芸術の価値と人気は為替や株以上に時流によって大きく作用されます。

その人気の要因を後付で説明することはできますが、それを前もって予測するのは、これも為替や株の値動きの予測並に困難です。

 

しかし、確かに言えるのは何らかの形で時代と一致しているものが人々から支持を集めるということ。

詩というよりは、もはや単語(しかも時として単語にすらなっていない音の集まり)の集まりである吉増氏の作品。

その支持の理由は先の読めない時代の映し鏡のような存在、とでも言えるのでしょうか。