私がつくる、未来への処方せん | セルフドクタークラブ 

土と一緒に成長していこう

庭の一画にある畑では様々な野菜が育てられ、夏は自分たちが食べる分はもちろん、レストランで出す料理もまかなうことができる。「野菜は自分たちで育てるのが本来」と明郁さん。1つのところに根を下ろそうと決めたのも、土の存在が大きかった。

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「土もまた人と一緒に育っていくもので、大事な財産。でも、借りた畑ではいつか返さなければいけない時がくる。それはしたくなかった。畑のことがなければ、一生借家でよかったかもしれない」

作っているのは野菜だけじゃない。お皿の上のしいたけは、ついさっき店裏で収穫してきたものだし、山羊の乳で作ったチーズや、鶏の産みたて卵もテーブルに上る。生ハムやベーコンも作る。長野は湿度が比較的低く、西洋野菜の育ちがよかったり、西洋風の保存食が作りやすかったりするそうだ。

“自給自足”という特別な表現をするのが野暮に思えるくらい、ごく当たり前のこととして日常を送っている2人。その土地の自然に即し、自然の中に根を下ろして生きる者のたくましさに触れた。

野菜は全て無農薬で育てているが、それを売りにするのは何か違うと、明郁さん。「無農薬とか恩着せがましく言うのはうるさいかなって(笑)」


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自分が一番調子よくいられる場所

2人の間には3歳になる奏くんがいる。林の中を駆け回り、犬や山羊と触れ合う毎日。叫ぼうが喚こうが近所迷惑にもならない。子どものあり余るエネルギーを際限なく吸収してくれる自然環境がここにはある。ただ、「子どもにはいずれ都会に出て、いろいろなものを見て刺激を受けてほしい」というのが、2人の共通の思いだ。ここに暮らしているのは、決して都会を否定しているからではない。要はどちらを日常にし、どちらを非日常にするかの話なのだ。

「僕たちは、暮らすのを山にし、遊びに行くのを都会にしました。そのほうが調子よくいられたんですね。僕たちと逆の生活を選ぶ人もいるでしょう。どちらが正解というのではない」

レストランや山小屋のオンシーズンは、宿泊客の朝食を作り、レストランのランチとディナー営業。合間に畑仕事などをし、一日中仕事でいっぱいになる。その分、雪に閉ざされる12月から4月頃までのオフシーズンには、お互い好きなことに時間を費やす。明郁さんは目下、店の隣に自分たちの家を建築中だ。そして、たまには家族で文化の刺激を受けに名古屋や松本に遊びにも出かける。オンとオフがはっきりしているここでの生活は、2人にとてもしっくりきている。


 

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独学で図面をひき、人の手を借りながら基礎工事も行った。いただきものの木材や、少しずつ集めてきた海外の建具を使い、2人にしか作れない家がじきに完成するだろう。

 


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伊那市 レストラン・山小屋オーナー

大竹明郁さん 美保子さん

おおたけ・あいく 静岡県浜松市生まれ。ミュージシャン、中古家具店経営などを経て、25歳の時に料理の道に入る。イタリア北部の料理を提供する店で修業を積む。

おおたけ・みほこ 愛知県生まれ。24歳の時から西洋アンティーク雑貨店「プチマルシェ」を経営。その世界観を守りながら、2009年に夫婦で名古屋から伊那市へ移住し、レストラン「プチマルシェ」をオープン。近くに1日1組限定の山小屋「mokki」も営んでいる。


伊那駅から車を30分ほど走らせる。地元のタクシー運転手も、「こんなところにお店があったかね~」と言うほど人気のない山中に、大竹さんご夫婦の広大な土地が広がる。山羊や鶏、犬と共に暮らし、野菜やきのこを育て、レストランや山小屋では予約限定でお客様を迎える。料理や空間から漂ってくるのは、旅をしてきた人の匂い。2人がこの地に根を下ろして暮らすことを選んだのは、自分たちの風景をつくりたかったからだ。

 

 

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人が作った土台に乗るのは嫌だった

2人共よく旅をし、そこで出会った西洋の文化に特別な思いがあった。明郁さんは食を学ぶためイタリア料理店で働き、美保子さんは西洋アンティーク雑貨店を経営していた。その2人が出会い、西洋の暮らしを提供するお店をもちたいという共通の夢をもつ。選んだ場所が長野だった。

「移住地には、ワインぶどう栽培を行い、洋食文化の受け皿がある長野が初めから頭にありました。問題は長野のどこにするか。集客を考えれば観光地がよいけど、人が作った土台に乗るのは嫌。ここは、何も始まっていない、まっさらな土地で、ひと目見てピンときてしまった」

軽井沢や松本と比べたら知名度は低いが、伊那には絶対的な人口はある。市内の30~50代の1割の人がお店に来てくれれば生きていける。土地代は予算をオーバーしていたが、運よく国からお金を借りることができ、移住を決めた。

レストラン兼住居にしている建物は既存のものだが、2人で手をかけて改装してきた。店内の大きな窓からは、山羊や鶏が育つ広い庭と、遠くの山並みが一望できる。どこにいるのか、どの時代にいるのかさえ分からない、非日常なのに不思議と心地よい、2人で作ってきた風景だ。

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窓の外に見えるのは、自然の他には自分たちが作った物だけ。人工物が一切なかったのがこの場所に決めた理由。

 

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どこの国とか型にはめず、いろいろな国の物を集めている。冬の間は雪で閉ざされ、何もできなくなる東欧では、村人が民族衣装の刺繍や切り絵などを作る文化がある。そういった「素朴な手作りの物に惹かれる」と美保子さん。

 


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この環境が日常なのは、すごく贅沢

「創作と生活の場として、ここで暮らすことを選んだのは父でした。母が亡くなってからも父は一人、ここで暮らしていたんです。その父か80歳で亡くなり、空き家にしておくのはもったいないし、私も子育てが終わっていたので移住してきました」

標高1300メートルに立地するため、1年のうち半分は寒くて暖炉が欠かせない。暖かい季節は畑仕事に精を出し、冬に向けて保存食作りを楽しむ。「地元でヨガを教えていますが、東京の頃と比べたら生徒さんの数は5分の1くらい。それでも、ここで畑仕事をしていれば食費はほとんどかからないし、生活費は安く済みます」
茅野は2時間ほど電車に乗れば東京に出られるから、東京での仕事を何本か持ちながら暮らすこともできる。「メールで仕事のやりとりをして、ちょっとモヤモヤしても、外に出ればこの環境が心をほぐしてくれる。近くに安く入れる温泉もいっぱいある。これが日常というのは、すごく贅沢ですよね」

 

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自然の中て本能を取り戻す

日本だけでなく、世界各地のお産を写真や文章を通じて表現しているきくちさん。年ほど前からお産にかかわる仕事をしてきたが、当時はお産が「普通のこと過ぎて」話題になることはなかったという。今はどうだろう。不妊や高齢出産、卵子凍結など、お産にまつわる話題は尽きない。
「今の時代に子どもを産んでいいのかという漠然とした不安を女性は感じているかもしれません。人口学者の調査で見ても、社会に不がある時や災害があった時には、人口減少が起きています。いま、東京で子どもを安心して遊ばせられる場所は少なく、子どもが土の上で裸足で遊べるようなところもほとんどありません。月経のある女性の体は、月や自然のリズムと呼応しています。科学的な話ではないけれど、自然環境から遠ざかり過ぎると、お産という本能にブレーキがかかってしまう気がします」
夏は知人の子どもたちを人ほど呼び、キャンプ体験をさせている。
「子どもも大人も自然の中て遊ぶ体験は大事。いま暮らしている場所に自然が足りないのなら、週末にキャンプするとか、友達と別荘をシェアするとか、お金をかけなくても自然に近つづ方法はあるはずです」

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茅野市大学講師/ヨガ講師/写真家 きくちさかえさん

きくち・さかえ出産育児環境研究会代表。一般社団法人社会デザイン研究所特別研究員(博士:社会デザイン学)。立教大学兼任講師。日本写真協会会員。自らの出産を機に、マタニティコーディネーターとして指導にあたる。世界16カ国以上の出産を取材。子育てが一段落した48歳に大学院入学。その後、衆議院議員政策秘書を2年間務める。現在は研究者、クリエイターとして出産育児の支援や研究、ヨガの指導を行う。著書に『みんなのお産』(現代書館)、『イブの出産・アダムの誕生』(農文協)他。

ひと昔前と比べたら、仕事も結婚も自由に選択できるようになった時代のはずなのに、体感的にはどこか不自由さを感じていたりする。“どこで、どう生きるか?”の選択も、仕事のこと、家族のこと、あるいは子どもの学校のことなど、いろいろ考えると結局身動きがとれなくなる。生き方を解き放とう!自然に近づいいた暮らしは不自由なことはたくさんあっても、体や思考は自由でいられることを気づかせてくれる。

 

百姓的な生き方をしていれば、倒れない

父親は絵描き、母親は機織りという家に育った。若い頃は両親の生き方を否定してきたが、自分を形成する核の部分は、両親と同じ芸術家気質だと語る。ただ少し違うのは、自分の生き方は「絵描き」、「機織り」というように1つのワードで語れないこと。

「私が選んだのは、百姓的な生き方。ヨガも教えるし、文章も書くし、写真も撮るし、講義も行うし、これ1本でいくという生き方ではないんです。昔の百姓というのは、野菜も作るし、しいたけも作るし、どこかの水道工事もするし、冬になれば出稼ぎに行ったりもする。百姓とは農民のことを指しますが、なりわいたくさんの生業という意味も含まれています。私の生き方はまさに百姓。どれか1本が倒れても他がある。だから不安になることはありません」

茅野に移住する前の2年間は、衆議院議員政策秘書を務めた。満員電車で通い、国会議事堂内をひた走る毎日は、「勉強になりましたが、自分には合わないと感じた」と言う。その経験があっての今は「開放的で、すごくいい感じ」。終身雇用が崩壊した今の時代、大企業に勤めていたって何が起こるか分からない。そう簡単には倒れない準備と覚悟がきくちさんにはある。

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訪れた6月は、梅干し作りの季節。暖炉は半年間稼働。「1週間前まで暖炉を使っていて、今朝も薪割りをしました」

 

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お父様の作品が収められたアトリエ。この絵を守りたい思いも強くあった。深く、鮮やかなブルーが印象的。


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