私がつくる、未来への処方せん | セルフドクタークラブ 

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お金になるかならないかではなく、作りたい物を作る

29歳で黒田辰秋の弟子をやめ、独立して自分の作品を作り始めた。しかし、師の影響は思った以上に強く、黒田辰秋風の作品から脱皮できずに悩んだ。ある時、自分かデザイナーだったことを思い出す。デザイナーをやっていた頃は、アイデアが次から次へと湧き出てきたのに、今それができないのはなぜなのか。「グラフィックの考え方で木工をやってみよう」。気持ちが吹っ切れたのは、40代になった頃。不思議とどんどんアイテデアが出るようになった。
木工作家の多くは、売れ筋を狙って同じ物を何個も作って生計を立てながら、一方で、自分の作りたい作品を作っている。でも、自分が同じ物を何個も作るこのやり方をとると、木工が嫌いになってしまいそうだった。
以前は注文を受けて作ることもあったが、今はそれもしていない。お金になるかならないかにとらわれず、自分の作りたい物だけを作る。そうしながら家族と共に生活するために、32年間、木工とは全然関係のないアルバイトを続けた。木工が人生の中心、木工に全エネルギーを注いでいる

 ラフスケッチを描いた後、粘土で作り、製図に起こして寸法なども出す。「形のイメージは、キレイだなと思った様々なデザインかいつの間にか頭に入っていて、その幾つもあるイメージのチョイスの仕方で個性が出るのだと思います。完全にオリジナルな形なんて、天才じゃないのでできないですよ」

 

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常に視野は広く、そして遠くへ

1日の中で制作に当てる時間は、大体8時間。朝起きて犬の散歩に行き、朝食前と朝食後の時間。午後は昼食後に軽い昼寝をした後、夕方頃まで制作に取り組む。夕食後も一服してから23時30分頃までは制作している。このペースで作り、1年で約10個の作品ができる。

この先自分が作れる数を考えてしまいそうなものだが、「僕は100歳まで生きたい。作りたい物が山ほどあるから」

住む場所を茅野にした理由の1つは、東京まで電車に乗れば2時間ほどとそう遠くもなく、都市と田舎の適度な折衷だったから。
「東京でデザイナーをやっている時も、いずれは田舎で暮らしたいと思っていました。ここは自然を満喫できる場所。自分にとっては理想郷です。ただ、独りよがりにならないよう注意しています」
自然に囲まれて暮らしながらも、田舎に埋もれ、自分の殻に閉じこもってしまうのは怖かった。自分の作品にも発展性がなくなるだろう。だから常に視野は広く、そして遠くへ向けている。

 

 

 


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茅野市 木工作家 土岐 千尋さん

とき・ちひろ 1948年宮城県生まれ。71年武蔵野美術大学産業デザイン学科(商 業デザイン)卒業。デザイン事務所勤務を経て、74年木漆工芸家の黒田辰秋に師事。79年木工作家として独立。9 0年英国ヴィクトリア&アルバートミューシアム、植も梻大箱買い上げ。各地で個展や二人展、グループ展を開催している。

 

グラフィックデザイナーから木工作家に転向した。門を叩いたのは、人間国宝の木漆工芸家・黒田辰秋。分業が当たり前の木工の世界で、何もないところからアイデアを考え、最後まで自分の責任で形にする、一貫作業にこだわってきた。根っこのところはデザイナー。だから、箱は四角くあるべきなんていう常識にはとらわれない。作りたい物しか作りたくない。役に立たない物は作らない。その微妙なバランス感覚が優美な箱に表現されている。

 

 

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なんで箱は四角いものばかりなんだろう

黒田辰秋の晩年の弟子として木工の世界に入ってから40年以上。独特なフォルムの作品は、木 を見て形のイメージが浮かぶのかと聞かれることが多いが、その逆だ。自分の作りたい形が先 にあり、それを表現できる木を探している。

長いこと箱を作り続けている。箱だから四角かと思いきや、一見箱とは想像できない、独創的な形ばかりが並ぶ。

「なんで箱は四角いものばかりなんたろう。もっとバラエティに富んた表現方法があるだろう と思っていました」

アーティストでもなければ職人でもない。デザイナーの視点をもった工芸家と自負する。ゆえに、用途がある物を作りたい。どんな形であろうと、箱である限り〝物を入れる〞という用途がある。

作品を買ってくれた人の中には、札束を入れている人、家族の遺骨を入れている人、自分が思いもよらなかった使い方をしている人もいて、驚くことがある。「この箱、もう少し大きければハイヒールが入ったのに」と言われたりすることもあるが、入れる物を意識して作ることはあまりない。あくまでも自分の作りたいものを優先している。

 



ダーチャが今の生活の原点

8歳の時、ソ連崩壊後間もないロシアへ行った。国内が深刻な物不足に陥っていると聞いていたが、行ってみると誰も食べ物に困っていない。確かに都市部の八百屋やパン屋の棚に食料は並んでいなかったが、郊外にあるダーチャ※で、それぞれの家庭が食べ物を自給していたのだ。

「ダーチャは家庭ごと様々で、ビニールハウスで野菜を育てている家もあれば、山羊を飼ってミルクを搾っている家もある。それぞれの家が工夫して自分たちの食べる物を作っているのが面白い。みんな違う物を作っているから、余ったら物々交換できる。このダーチャの生活が、今の生活の原点かもしれない」

東京でダーチャのような自給自足的なライフスタイルは送れないものかとたずねたら、「屋根の上にダーチャを作ればよい」と。東京で庭をもつのは無理だから、屋根の上にテラスを作り、そこに農作物を植える。植えた作物が落ちない仕掛けや、灌水器も必要だろう。いや、屋根の上に登るのは大変だから、プランターが下りてくる仕掛けを作ったほうがよいか? と即座にアイデアが返ってきた。考えるだけでなく、すぐに動いてしまう人だ。「実はもう、実験的にあそこの屋根の上に植物を植えているんだけどね」

 

 

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屋根の上に畑を作る予定。実験的に植物を栽培してみた。

 

※ ダーチャとは、ロシアの人々が週末や休日を過ごすために郊外に所持している菜園つきの家のこと。国から無償で与えられるもので、モスクワ市民の70%以上がダーチャを保有しているともいわれている。

 

 

体が勝手に動いてしまう

 

「365日休みなく、毎日何かしている。夏は畑や田んぼ、レストランの仕込み作業に忙しい。夏場にお客さんがいる中でチェーンソーを鳴らすわけにはいかないから、建築作業は自ずと冬場になる。大雪が降ろうとね」

長野に暮らして45年。この土地の暮らしもすっかり板についている。漬物好きの世代なので、毎年、かぶや大根と様々な野菜を使って15種類ほどの漬物を作るが、一緒に働く若者たちは、漬物になじみがないのか、あまり手をつけてくれない。

「せっかく漬物を作っても余ってしまう。何年間もその体験をしていると、もう来年は作らないぞと思うわけ。でも不思議と、春になると体が勝手に動いて種を蒔いている。いま畑は、他に植えるところがないくらいびっしりだよ」

結局、体にしみついているのだ。生きるために動く。毎日それをくり返している。

気がつけば60歳。娘には、いい加減仕事をやめたらと言われる。「でも、仕事がなくなったら病気になるからね」。それに、廃材を使いこなすのは誰にでもできることじゃない。まだ当分、次に渡すつもりはない。

 

 

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田んぼを始めたが、草取りの大変さには気が滅入った。発砲スチロールを取りつけ、水に浮くように改良した除草機を作り、草取り作業の負担を減らした。

 

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トラクターの壊れた部品を溶接して直す。


11月3日(火)、MIDORI長野の「りんごのひろば」で開催した

「生活芸術家たちのりんご収穫祭」で発表した楽曲、

『りんごのうた』がユーチューブで公開されています。


 

長野県の象徴ともいうべき、なじみ深い「りんご」をテーマに
四季折々の暮らしの描写とともに書き下ろしてくださっています。

長野県の象徴ともいうべき、なじみ深い「りんご」をテーマに

四季折々の暮らしの描写とともに書き下ろしてくださっています。


 

深瀬人寛さんの柔らかな歌声とピアノの旋律をご堪能ください。


 

 

 


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