#01 土屋 多加史インタビュー


自然にある時間、人にある時間

K:なぜ葉っぱで作品を作ろうと思ったのですか?

T:とてもあたり前な現象なのですが、時間の推移について気になっていて。自然の側にある時間と人の側にある時間で、時間の流れ方が違うっていう...。
何年も前に東京に来て生活するようになって、どうしても地元と比べて考えてしまうのですが、人の力以上のものがなかなか感じられないな、と。
例えば風が吹いたら木が揺れる、というような自然の力が現実感を伴って都会では感じられない。揺れてはいるんだけど、なんか仕組まれているような感じがして。
人工的に何か生み出し、それらの現状を維持しようとすることと、自然の摂理、モノが朽ちていくっていうイメージが都市と自然のある地域とでなにか違う。
都市生活であるものが崩れていくとか変化があるっていうのは、もう消費されてなくなったから壊すとか、そういう印象があると思うんだけど、四季が訪れると普通に風景の色が大幅に変わったりとか、住まなくなった家が朽ちていっていつの間にか草が生えてきたりとか、結構あるじゃないですか。どうしても人の力の及ばないことが作用して、そこで葛藤しながら生きていくっていう感覚があって。

都会の葉っぱはどこに行くんだろう

K:葉っぱを選んだ理由は自然物だからってことが一番大きいですか?

T:そうですね。自然の中では落ちた葉っぱはそのまま朽ちて土に変わっていくけど、都会の葉っぱはどこに行くんだろう、と思って。特に街路樹の葉。
土になったりしないまま、掃除されて捨てられちゃったりするのかな。
都市の中で生きている自然物がどうやって生き抜いていくか。葉っぱに照らし合わせて人間のことを考えられるし、そんなことで細工をしてみようと思って。
今は枯れたものを多く扱っているんだけど、前は緑のものもよく扱っていたから、色が変わっていく姿を見ながら、人工的に手を加えた部分がどんな効果を示すか興味深かった...。
自然物にかたちを与えることで、人為と自然の対比が意外とシンプルに表せたな、と。

体験として確かめる感覚

K:土屋さんの作品は絵画が中心ですよね。私たちから見ると、大きな絵画とこういう小さなものを扱っている作品だと、印象がすごく違うと思うんですが、土屋さんの中ではそれはあまり変わらない?

T:発想の根底ではそう大きく変わりはないです。でも素材が違うからやっぱり違いはありますね。
葉っぱに関しては、体験として確かめる感覚が強いかな。もちろん絵を描くときも同じ事ではあるんだけど...もっと端的な感覚を得る事ができます。
葉っぱを使うことの好ましい面は、既に多くの意味を背負っていることもあって、そのもの自体に頼れるんですよね。ちょっとした細工をすることで意味が変わってくるのがすごく興味深い。それと、大きく違うのは「痛み」の感覚があることですね。直接的に生から切り離されたものを切り刻んで、違う物語を再生する行為ですから、これは大きく違いますね。

時間の感覚を歪めること

K:表現するということは、あなたにとってどういうことですか?

T:うーん、...時間の感覚を歪めることかな。なんていうか、時間の感覚が歪むっていうことが面白いな、と。
表現されたことの中に没入していって、日常の秩序と違う世界に入っていくわけだから。
生まれてから死ぬまで、必ず限られた時間があるじゃないですか。自分を中心に外と内に分けると、それは外の時間。内の時間は思っている以上に変動があるから。どれだけ外の時間とは違う時間を過ごすか。作品に至るまでの裏舞台が正しく伝わるかなんてそれほど重要じゃなくて、僕の作品を前にして見ている人にその時間を体験してもらえたら一番いいな、と。

(T:土屋氏、K:久保 2009年6月16日東京芸術大学土屋氏アトリエにて)

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