#03 荒川 靖彦インタビュー


誰かの世界の代わりにもなる

E:白い世界。果てのない感じというか、そんな世界が印象的ですが、何か意図があるんですか?

A:時代性みたいなものを無くしたい、っていう・・・。いつの時代で、どこの場所かっていうのを提示するのが嫌だったんです。
どういう場所か分かんなければ、それは誰かの世界の代わりにもなる、っていうところがあって。白くなくてもいいんです。基本的には場所が分かんないようにしようって考えています。

E:特定されない「どこでもないどこか」っていうのを提示しているのか、それとも、見る人に自分の世界を投影してほしいのか・・・?

A:それはもう自由だと思うんですよね。こちらが与えている条件が「白い世界」っていうだけで。
見る側が、じゃあここは南極だって感じたりとか、それは全然構わないです。見る側の自由だし。絵がそこまで見方を規定するものじゃないと思うんで。なるべくプレーンなかたちで見せたいと考えています。


ストーリーはない

E:例えば「はじまりとおわり」とか、作品のタイトルが意味深ですね。

A:今回の作品を描いていた頃は、物事の最初と最後を全部凝縮してしまう感覚というか、「全部の要素を閉じ込めること」を考えていました。例えば化石でも、廃木でも、地層でも、ぎゅっと圧縮された時代がある。それって、ある意味では、最初と今の状態まで全てを背負っているわけですよね。自分の選んでいる、(作品世界の)背後にあるモチーフは、歴史性を背負っている。「最初」と「最後」っていうことを、すごく象徴的に取り入れる必要があるなって感じるんです。

E:そう言われれば、作品のタイトル全てに時間を感じさせる言葉が使われていますね。時間の流れとか、歴史に興味があるんですか。

A:そうですね。藝大に入る前に、別の大学に通っていたんですが、そこでも歴史学を学んでいました。もとからそっちに興味があって、昔だったり逆に未来だったり、「今じゃない場所」に興味があります。

K:今回の作品群、私は夢の中の様な世界を描いているとばかり思っていたんです。でもこれらのテーマが「うつつ」なんですよね。夢の中じゃないんですね。

A:そうなんです。そう勘違いしている人もいるんですが。「うつつ」は「現実」の意味で使っていて。絵の中で指し示しているのは、「今」ではなく未来だったり過去だったりするんですが「どこにあるのか分らないもの」を描いています。それを逆説的に「うつつ(現)」という言葉で表現していて。
「うつつ」って言葉は、夢と現実のどちらの意味も引き出せるわけじゃないですか。それって自分の絵を体現しているのかなって。


素敵に、人間と物を対比させている

A:これらはストーリーを表している絵ではないんです。記号的、図面的に人間と物を配置しているだけで。人間がいる絵の場合も、物と人間の違いを対比させたくて配置しているんです。
物の場合は、移り変わりがなるべく無いものを選んで描いています。人間はどんどん新しくなってしまう。世代が変わる毎に、ある意味では、全く新しくなる。
風化しながら、とか、ずっと変わらないというより「ゆっくりと徐々に形を変えていく物」と、地球規模でいうと「結構な早さで移り変わってしまう人間」を対比させてみることで、人間の存在というものを見せられるんじゃないかな、と。
単純に人間と物とを、素敵に、対比させているだけなんです。

E:創作のコンセプトがしっかりあるんですね。
その考えを「こんな画面にしよう」と、パッと頭に浮かぶんですか?

A:パッと浮かぶことはあんまり…。描いているうちに、いつのまにか出来上がる感じですね。色でも、最初から「白い絵にしよう」と思って色を付けているわけじゃなく、描きながら試行錯誤しながら、物と対話していくうちにだんだん色が決まっていく。だからこれ(「そのあと」)とか、色が暗くなったのも、暗くなった方がいいっていう対話が生まれてそうなった。

E:出来上がるまで、自分でもどういう風になるか分からない?
描いているうちに、絵が勝手に呼吸を始めるような?

A:そうですね。物が有機的な存在でもあるっていう部分を残したいのかな。伝わろうが伝わるまいが、それがあるっていうことが重要なのかな。
作品の描き方は、まだ決まっていないというか、改良中という感じです。最近では意識が変わってきていて、今日お見せした作品は、人間と物の間の「すれ違い」みたいなことを描いている。物には本当は隠された価値があるんだけど人間はそれに気づかないという。「はじまりとおわり」なんかも物と人間の関わりがない、知らないところで気づかず通り過ぎていたような状況を描いていた。
それが最近描いているのは全く逆で。価値がある、認められた、お金的な、すごく商品的にこちらにアピールするものってあるんですけど、それに背を向ける気持ちを表現するような、そんな作品をちょうどつくっているところです。

E:これからそっちも発展していくんですか?

A:はい。コンセプトとしては、そういう面も出てきた。


良いものからはメッセージが返ってくる。家族みたいに。

E:今日の作品撮影ではリビング風の空間に作品を並べましたが、自分の作品が生活空間に飾れることについて、どう思いますか?

A:意外と合っていてびっくり。あの空間は、作品にとって良い場所だったんだなって思いました。やっぱり空間に違和感を与える物は、いつかはどこかに隠されてしまう気がしますね。例えば、いま浮世絵などを額縁に入れて飾ったりすることもあると思いますが、最終的には飾られなくなる気がしますね。だって本来、浮世絵はこうやって(本のページをめくるような仕草)見るものなんで。
作品は、作品が選んだ所に落ち着いていく気がします。

E:ご自身の作品は最終的にどこに辿り着くと思いますか?

A:作品によって変わる感じがします。人の生活する場にあっていい作品と、そうじゃない作品と、それぞれ器があるんじゃないかな。

E:例えば今日の作品だったら、リビングとか?

A:分かんないですよね(笑)、判断は。

E:生活空間の中にあるアートというものをどういうふうに考えますか?

A:良いものって、あちらから話しかけてくる、主張が返ってくる感じがするんですよ。とくにアートを感じなくても、ちゃんとした考えでデザインされたものは、メッセージが返ってくる。自分にとってちょっと家族のような感じ。そういうものが生活の中のアートなんじゃないかって思います。

E:ただの物というより、空間全体がそれによって変わる。

A:そうですね、影響を与える。もしあまりにもストンとその空間に収まって、空気みたいな存在になったら、作品としてはどうなんだろう、ダメなのかなとも思いますけど・・・。存在をいつでも感じるような、派手とか強い、弱いとか関係なく、そこに存在することが感じられるもの、それが良い作品なんだと思います。

E:最後に、荒川さんにとって表現することとは?

A:多分ほとんどの人が「自己表現」と言うと思うんですけど、それが分かんないですね。自分の捉え方はちょっと違っていて、環境からたくさん影響を受けて、経験してきたことが自分という条件を通して出てきてかたちづくられたものが「表現」なんです。最初から内側にあるわけではなくて、完全に自分だけのものではない。自己表現でないことは確かです。自分にも、他の人にも、場所にも働きかける、運動していく方法として、作品をつくっているという感じですかね。

(A:荒川氏、E:遠藤、K:久保 2009年11月29日 広尾のインテリアショップ「SIGN」にて)

 

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