江戸美学研究会|「江戸のデザイン」と「江戸の生活文化」を研究するクラブ「エビケン」です。

ぶろぐ

江戸生活文化インタビュー
【祈りと願い】
vol.02 江戸の正月

我々が1年の区切りとして大切にしているお正月。 行事やそれにまつわるしきたりなどがありますが、 そもそもどうしてこのような習慣が成り立ったのでしょうか。 民俗学者の神崎宣武さんに、お話を伺いました。

国際都市江戸で生まれた標準仕様

──お正月の行事はとても様々なものがありますが、どうしてここまでたくさんあるのでしょう?
 かつては日本の人口の7割以上が農業に携わっていたので、閑散期に入った12月半ばから1月は行事がたくさん作られました。そもそもなぜ新年がおめでたいかというと、江戸の代までは数え年で、お正月を迎えると皆が一斉に歳をとるから。現在よりは感動が共有されてたのです。
 12月13日が「事始め」で、正月の準備を始める。かつて事始めは、かまどの煤払いから行うのが一般的だった。しかし現代はかまどもないので、事始めの意味も曖昧になってきた。正月の呼称は期間が「正味1カ月」なので、正月と呼んでいたんですが、明治以降後ろ倒しになって、今はデパートも正月から営業しているので初売りも無くなり、正月の意味すら薄らいできています。
 江戸時代の日本は鎖国をしていましたが、二百以上の藩に分けられており、江戸の街は各地の文化が行き交う、いわば国際都市でした。その結果、西日本にも東日本にも属さない江戸仕様というスタイルも生まれたのです。

──地方の多様な文化をニュートラルに再編したのが江戸だったんですね。
 例えば、年始にお迎えする歳神様は、普段は山にすだくとする日本の原始的な信仰に基づいた神様です。お迎えする神様の拠り所として、松を使って作った門松を立てていた。それにデザインが加わえられ、江戸仕様の門松が生まれたんです。例えば、地方では松を一本立てるだけのものが、江戸では装飾が加えられ、現代ではまるで竹が主役のようにもなりました。
 新興都市が中核都市になるためには、どこかに偏るわけにはいかない。江戸はこのような事情から、どこにも偏らないものを作り出しました。国際都市というのは、そういうものでしょう。

newyear_ukiyoe01.jpg
一陽斎豊国「風流役者地顔五節句 正月之図」国立国会図書館蔵

伝統の根底にあった合理性

──年越し蕎麦などもその頃に生まれたのでしょうか。
 商家では12月13日の大掃除(煤払い)は、使用人や出入りの職人などが多勢で行っていました。その際に昼食を振る舞わなくてはいけない。台所も忙しいから凝ったものもできないので、手間のかからない蕎麦を振る舞った。この習慣がもととなり、どんどん後ろ倒しにされていき、年越し蕎麦になった。細く長い長寿のために蕎麦を食べるという意味は、最初はなかったんですね。
 そもそもおせち料理も正月に限ったものではありません。季節の変わり目、立春、立夏、立秋、立冬の頃は災いが起きやすく体調を崩しやすい。そこで、時期の旬の植物や動物を食べることで体をリフレッシュする。おせちと言わないだけで、夏の土用のうなぎも、季節のもの。節分の豆もおせち。それが、言葉としては今正月に残っている。昭和の頃まで、年始には仲人の家や上司の家に挨拶に行く習慣がありました。その時、もてなす方はただで返すわけにはいかないので、酒と料理を出す。その時に、肴として作りだめしておける料理が必要だったところからできたのがおせち料理です。
 主婦が時どきに煮炊きをしなくてもいいという意味では、台所の軽減にはなったけど、元々の意味は客人をもてなすための合理性に基づいていました。時代とともに、二次的な理由も正当化されて広まります。情報とはそのようなものだし、文化事象というのは変わるのは当たり前だけど、ずっと辿って行って元が何かを知るのは大事なんです。
──年越し蕎麦もお節も必要に応じた理由があったんですね。

共に祈り食する、共食と信仰の日本的コミュニティ

 もう一つ大きな意味は、神様との共食。行事のたびに、その時の一番のご馳走を作って、それをみんなで神様と一緒に食べる。神と人が共食することを「礼講」、人と人が共食するのが「無礼講」です。

 共に食べるということが大事で、同じ釜の飯を食う、同じ盃を回す、そういうことでコミュニティが保たれていました。祭り(祈り)を行い、飲み食いをすれば、大抵の争いもいざこざもなんとかなったんです。「事無く恙無く」を確認する行事、といえるでしょう。

 地域コミュニティが江戸で新しい形に生まれ変われたのは、江戸では京を習ったかたちで町組がしっかりしていたから。戦後になると高度経済成長やマス情報化により、コミュニティに頼らなくてもお金で解決できるようになりました。歴史の流れではあるけれど、元の姿はどのようなものであったか忘れてはいけないですね。

 その根幹にあったのは、原理主義のような宗教ではありません。日本人の信仰は、いうなればコミュニティを維持するためのもの。例えば、「あいつが来るなら俺は行かない」という好き嫌いを言い出す人がいても、全員が参加のために神様や仏様が招いているという方便化をすることで納めていた。

newyear_ukiyoe02.jpg
国彦「四季之内春遊」(部分)国立国会図書館蔵

──良い意味でも悪い意味でも緩さを許容するための風習だったんですね。
 日本には「恥」という文化があります。誰に対して恥ずかしいかといえば、世間様に対してです。世間とは、自分が普段属しているコミュニティのこと。だから遠く離れた場所を世間とは言わない。自分が普段所属していないところでは、「旅の恥はかき捨て」ということになる。

 世間の中では「すみません」と言えばなんとかなっていた。「すみません」とは要するに「済まされないことをしてしまった」という意味なんですが、「すみません」の一言で「済んで」いたのがコミュニティ。争いごとが「すみません」で済まされなければ裁判所に持ち込むしかなく、早々に訴訟社会になっていたことでしょう。このように日本的なコミュニティは、曖昧な面もあり、現代は過渡期なので、かつての伝統の意味を知り、後世に伝えることが大事です。




newyear_kanzakisan.jpg
《お話を伺った方》
旅の文化研究所 神崎宣武さん
かんざき・のりたけ 民俗学者。酒と食文化・旅と世相などの研究を主とする。旅の文化研究所所長、文化庁文化審議会専門委員、五十鈴塾・備中志塾塾長、岡山県宇佐八幡神社宮司など。著書に『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』『旬の日本文化』『「おじぎ」の日本文化』(角川ソフィア文庫)、『大和屋物語─大阪ミナミの花街民俗史』(岩波書店)他多数。

↑ページの先頭へ

<01>江戸の生活文化

最近の記事

バックナンバー

<02>江戸のデザイン

最近の記事

バックナンバー

<03>江戸の女子力

最近の記事

バックナンバー