江戸美学研究会|「江戸のデザイン」と「江戸の生活文化」を研究するクラブ「エビケン」です。

ぶろぐ

江美研選書

『春画で学ぶ江戸かな入門』
車浮代・吉田豊 著(幻冬舎)
2017年3月9日発売 1,600円(税別)

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時代小説家・浮世絵研究家 車浮代さんと古文書研究家 吉田豊さんの共著。江戸時代のかな文字、くずし字をカラーの名作春画とともに学べる。読んで楽しい、見て楽しい。春画の世界に引き込まれる。他にはない一冊です。

■車 浮代オフィシャルサイト
http://kurumaukiyo.com

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江戸生活文化インタビュー
【祈りと願い】
vol.03 折形

正月を始めとした節句の行事の中にも、また、贈答をする際の熨斗袋や水引の結び方一つにしても、日本の儀礼にはそれに合った作法があります。日本古来の礼法の一つである折形(おりがた)を今に伝え、現代に活かす活動をしている折形デザイン研究所 代表 山口信博さんに、季節の礼法について伺いました。

折形は武家の礼法の一つ

──そもそも折形とは何でしょう。
 折形は室町時代に確立した武家の礼法である「武家故実(ぶけこじつ)」の中の一つで、贈答の際の「包み」と「結び」の礼法です。本来武家の秘伝であるその礼法を、江戸中期の幕臣で、武家故実家でもあった伊勢貞丈が、『包之記(つつみのき)』と『結之記(むすびのき)』の二つ合わせて『包結図説(ほうけつずせつ)』として出版しました。伊勢家は代々幕府の礼法指南役を務め、故実を司る家柄。貞丈はその当主だったのですが、禁を犯して出版しました。

──武家故実の秘伝を出版したんですか。
 礼法は家ごとに一子相伝で口伝されるものでしたが、それがかなり間違った形で市中に広まっていて、伊勢家に伝わっていることと大きく違っていた。それを正すという意味合いもあったようです。貞丈は『古事記』を研究、再発見した本居宣長と同時代の人です。傾奇者(かぶきもの)や不良な連中が出始め、西洋から様々なことも伝わってきていた元禄から少し時代が下った頃で、古来より伝わる「やまとごころ」をもう一度見直そうという機運がこの時代にあったのでしょう。

──礼法を正しく伝えたいと。
 贈答の礼法だけでなく、武家の礼法は非常にたくさんありました。切腹の仕方から、合戦の陣を張る時の天幕の張り方に至るまで。貞丈の書物の中には『軍用記』というものもあるのですが、その中には「首実検」の作法についても書かれています。
 武士が手柄を立てることは禄に反映されるので、その首が本当に敵の大将のものなのかを見極める首実検は重要でした。ただ、行っていることはグロテスクな蛮行ですよね。蛮行だからこそ美しい所作でしなくてはならないというのが、武家故実にはあるのかもしれません。白木の桶への首の収め方とか、桶の中で顔が倒れないようにする置き方とか、全部作法がある。生々しさを形式と秩序の中で解消していったんだと思います。

──江戸の太平の世になっても、武家にとって礼法は重要だったのですか。
 参勤交代にも作法がありますし、江戸城ではいろんな年中行事があり、その作法はとても重要でした。例えば将軍が大名に亥の子餅を配る行事があり、亥の子餅用の包み方もあります。それも難しい包みなんですよ。
 江戸城内の年中行事の準備は各藩の持ち回りで、どの藩にもいずれ順番が回ってきます。だから色々な作法をまとめた『包結図説』が出版された時には、参考にした人が多くいたと思います。

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折形デザイン研究所 代表 山口信博さん。研究所では教室も開講しており、心地よい和の空間で折形の心と作法を学ぶことができる。


神の力を体内に取り込む

──贈答を大切にする心が、礼法というかたちを作ったのでしょうか。
 贈答という時に、人と人の間のことだけと思いがちですが、そこには神様の力をいただく、という考え方があります。例えば出陣する前には宴を催し、お酒を酌み交わして士気を高揚させますが、そこでは神に酒や食べ物を捧げ、それを下げてみんなで食べて飲む。これを「直会(なおらい)」と呼びます。それによって神様のご神徳を体内に入れることができるんです。

 お酒が象徴的ですが、元々お酒はお米と水です。そこに酵母の働きがあり、大いなる自然の働きがあってお酒になるわけです。自分を超えた大いなる力の働きがあって、生み出されたものですね。例えば婚礼で三々九度をする時、神酒を注ぐ長柄の銚子と提子(ひさげ)は、それぞれ雄蝶と雌蝶の折形で飾ります。神酒は瓶子(へいし)という酒器から、いったん雌と雄の銚子と提子に注ぎ分けられ、それを盃に受けて交互に両方飲むことで、再び体内で雌雄が一体化する。ここには陰陽の考え方があります。雄は陽で雌は陰です。これらの礼法には武家の儀礼を超えて、もっと深い人類の普遍なるものと繋がっている気がしますね。
 私が折形に関わっていて思うのは、表立っては見えないけれど、陰陽の思想が至るところに隠れているということです。四角い形のものは陰と考えて、同じく陰の結び方である双輪結び(蝶結び)で結び、丸いものは陽なので、同じく陽の片輪結びで結ぶこと──と貞丈は示しています。


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折形は全紙や半紙といった定型サイズの和紙を使い、紙を切らずに包む。紙を切ることは切腹にも通じるタブーなのだ。一枚の紙を折るだけで箱ができあがる「内ろっかく」は折形デザイン研究所がデザインした現代の折形。


お正月の身近な折形

──お正月行事で身近な折形にはどのようなものがありますか。
 例えば、祝い箸を包む箸包みでしょうか。祝い箸は柳の白木の丸箸と決まっています。柳は水辺に生える木で、陸と水の境界にありますね。幽霊と柳は付き物ですが、水はあちらの世界とも繋がっている。その境界にある柳は独特な意味合いがあります。古来より柳は邪気を祓う霊力のある木ともいわれます。また、木に粘りがあって、風に揺れる柔軟性がある。お正月に使う箸が折れては縁起が悪いので、そうならないように柳を使います。
 それを両方の先端を細くした「両口箸」にします。両口というのは、片方は人間が使い、もう片方の天は神様が一緒に食べてくださるということを意味します。神人共食の場が正月の膳ということになります。

──祝い箸の包みには特徴がありますか。
 箸の据え方も重要で、垂直に両口の天の側を上にしつらえます。また右前、左前というのがあって、お祝い事は右前に包みます。祝い箸もそうですし、慶事のご祝儀の包みもそう。不祝儀の場合は、逆に左前になります。
 我々は基本的には右利きなので、右手で開けやすいように相手のことを考えて右前なんですよ。右利きの人が開けにくい左前は凶の開き方。こうした身近なものにも、折形の思想は込められているので、注目すると面白いですね。

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祝い箸包み(折形デザイン研究所)



《お話を伺った方》 山口信博さん
折形デザイン研究所
礼法である「折形」の秩序ある美しさをモダンデザインとして捉えなおし、今に活かせる「折形」を探求する研究所。展覧会、ワークショップ、教室の開催、出版、手漉き和紙職人とのコラボレーションによる、オリジナル商品の開発など、さまざまな活動を通して、折形の美と精神を伝えている。
www.origata.com

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江戸生活文化インタビュー
【祈りと願い】
vol.02 江戸の正月

我々が1年の区切りとして大切にしているお正月。 行事やそれにまつわるしきたりなどがありますが、 そもそもどうしてこのような習慣が成り立ったのでしょうか。 民俗学者の神崎宣武さんに、お話を伺いました。

国際都市江戸で生まれた標準仕様

──お正月の行事はとても様々なものがありますが、どうしてここまでたくさんあるのでしょう?
 かつては日本の人口の7割以上が農業に携わっていたので、閑散期に入った12月半ばから1月は行事がたくさん作られました。そもそもなぜ新年がおめでたいかというと、江戸の代までは数え年で、お正月を迎えると皆が一斉に歳をとるから。現在よりは感動が共有されてたのです。
 12月13日が「事始め」で、正月の準備を始める。かつて事始めは、かまどの煤払いから行うのが一般的だった。しかし現代はかまどもないので、事始めの意味も曖昧になってきた。正月の呼称は期間が「正味1カ月」なので、正月と呼んでいたんですが、明治以降後ろ倒しになって、今はデパートも正月から営業しているので初売りも無くなり、正月の意味すら薄らいできています。
 江戸時代の日本は鎖国をしていましたが、二百以上の藩に分けられており、江戸の街は各地の文化が行き交う、いわば国際都市でした。その結果、西日本にも東日本にも属さない江戸仕様というスタイルも生まれたのです。

──地方の多様な文化をニュートラルに再編したのが江戸だったんですね。
 例えば、年始にお迎えする歳神様は、普段は山にすだくとする日本の原始的な信仰に基づいた神様です。お迎えする神様の拠り所として、松を使って作った門松を立てていた。それにデザインが加わえられ、江戸仕様の門松が生まれたんです。例えば、地方では松を一本立てるだけのものが、江戸では装飾が加えられ、現代ではまるで竹が主役のようにもなりました。
 新興都市が中核都市になるためには、どこかに偏るわけにはいかない。江戸はこのような事情から、どこにも偏らないものを作り出しました。国際都市というのは、そういうものでしょう。

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一陽斎豊国「風流役者地顔五節句 正月之図」国立国会図書館蔵

伝統の根底にあった合理性

──年越し蕎麦などもその頃に生まれたのでしょうか。
 商家では12月13日の大掃除(煤払い)は、使用人や出入りの職人などが多勢で行っていました。その際に昼食を振る舞わなくてはいけない。台所も忙しいから凝ったものもできないので、手間のかからない蕎麦を振る舞った。この習慣がもととなり、どんどん後ろ倒しにされていき、年越し蕎麦になった。細く長い長寿のために蕎麦を食べるという意味は、最初はなかったんですね。
 そもそもおせち料理も正月に限ったものではありません。季節の変わり目、立春、立夏、立秋、立冬の頃は災いが起きやすく体調を崩しやすい。そこで、時期の旬の植物や動物を食べることで体をリフレッシュする。おせちと言わないだけで、夏の土用のうなぎも、季節のもの。節分の豆もおせち。それが、言葉としては今正月に残っている。昭和の頃まで、年始には仲人の家や上司の家に挨拶に行く習慣がありました。その時、もてなす方はただで返すわけにはいかないので、酒と料理を出す。その時に、肴として作りだめしておける料理が必要だったところからできたのがおせち料理です。
 主婦が時どきに煮炊きをしなくてもいいという意味では、台所の軽減にはなったけど、元々の意味は客人をもてなすための合理性に基づいていました。時代とともに、二次的な理由も正当化されて広まります。情報とはそのようなものだし、文化事象というのは変わるのは当たり前だけど、ずっと辿って行って元が何かを知るのは大事なんです。
──年越し蕎麦もお節も必要に応じた理由があったんですね。

共に祈り食する、共食と信仰の日本的コミュニティ

 もう一つ大きな意味は、神様との共食。行事のたびに、その時の一番のご馳走を作って、それをみんなで神様と一緒に食べる。神と人が共食することを「礼講」、人と人が共食するのが「無礼講」です。

 共に食べるということが大事で、同じ釜の飯を食う、同じ盃を回す、そういうことでコミュニティが保たれていました。祭り(祈り)を行い、飲み食いをすれば、大抵の争いもいざこざもなんとかなったんです。「事無く恙無く」を確認する行事、といえるでしょう。

 地域コミュニティが江戸で新しい形に生まれ変われたのは、江戸では京を習ったかたちで町組がしっかりしていたから。戦後になると高度経済成長やマス情報化により、コミュニティに頼らなくてもお金で解決できるようになりました。歴史の流れではあるけれど、元の姿はどのようなものであったか忘れてはいけないですね。

 その根幹にあったのは、原理主義のような宗教ではありません。日本人の信仰は、いうなればコミュニティを維持するためのもの。例えば、「あいつが来るなら俺は行かない」という好き嫌いを言い出す人がいても、全員が参加のために神様や仏様が招いているという方便化をすることで納めていた。

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国彦「四季之内春遊」(部分)国立国会図書館蔵

──良い意味でも悪い意味でも緩さを許容するための風習だったんですね。
 日本には「恥」という文化があります。誰に対して恥ずかしいかといえば、世間様に対してです。世間とは、自分が普段属しているコミュニティのこと。だから遠く離れた場所を世間とは言わない。自分が普段所属していないところでは、「旅の恥はかき捨て」ということになる。

 世間の中では「すみません」と言えばなんとかなっていた。「すみません」とは要するに「済まされないことをしてしまった」という意味なんですが、「すみません」の一言で「済んで」いたのがコミュニティ。争いごとが「すみません」で済まされなければ裁判所に持ち込むしかなく、早々に訴訟社会になっていたことでしょう。このように日本的なコミュニティは、曖昧な面もあり、現代は過渡期なので、かつての伝統の意味を知り、後世に伝えることが大事です。




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《お話を伺った方》
旅の文化研究所 神崎宣武さん
かんざき・のりたけ 民俗学者。酒と食文化・旅と世相などの研究を主とする。旅の文化研究所所長、文化庁文化審議会専門委員、五十鈴塾・備中志塾塾長、岡山県宇佐八幡神社宮司など。著書に『酒の日本文化』『しきたりの日本文化』『旬の日本文化』『「おじぎ」の日本文化』(角川ソフィア文庫)、『大和屋物語─大阪ミナミの花街民俗史』(岩波書店)他多数。

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江戸生活文化インタビュー
【祈りと願い】
vol.01 縁起熊手



11月の酉の日に、鷲や鳥にちなむ寺社を中心に行われる酉の市は、 江戸時代から続く年末の風物詩だ。露店では幸運を掻き込む「縁起熊手」が 威勢のよい手締めと共に売られ、大勢の人々で賑わう。 熊手職人の橋本誠三さんに、縁起熊手について話を伺った。

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──橋本さんは「熊手工房はしもと」の三代目、創業はおよそ100年前だとか。

 熊手作りの商売は、実はほとんどが創業時期は分からないんです。というのも今は専業で作っていますが、当時の熊手作りは内職で、本業ではなかったからです。曽祖父は神田でハンコ屋や木版印刷を生業としていました。住まいは台東区三ノ輪で、関東大震災で足立区西新井に移ってきたんです。震災で資料は残ってはいないのですが、おそらくその前後から足立区花畑にある大鷲神社の酉の市などの熊手を内職で手がけたのだと思います。

──江戸時代の縁起熊手も、内職で作られていたのでしょうか。

 やはり神社の近くの農民たちの農閑期の内職だったと思います。酉の市の発祥は花畑の大鷲神社です。大鷲神社から始まり、千住の勝専寺、現在最も賑わう浅草の鷲神社......江戸時代に盛大だったのはこの三つだったといいますが、その近辺の農家がお米を収穫した後の藁を使って注連縄を綯(な)い、熊手を作って農閑期の内職としていたのでしょう。

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注連縄は新潟南魚沼から取り寄せる。

──酉の市は元々、農機具を売る市で、熊手もその一つが縁起物になったとか。農家にとって縁のある市だったのですね。

 そうですね。当時の酉の市は旧暦の11月なので、現在の12月頃に当たります。収穫が終わってひと月くらい間がありますから、その間に内職として作ったのでしょう。江戸から大正にかけて、深川など東京の下町にはお金持ちが多かったようで、そういった人たちが綾瀬川を船で上り、花畑の大鷲神社の熊手を買いに来たようです。吉原の大店である大黒楼などとも親交があったようですし、博奕(ばくち)も行われたらしい。酉の市にはそういう楽しみもあったようです。

──熊手についている縁起物である指物にはどんなものがあるのでしょうか。

 熊手の基本は、大福帳、今でいう伝票ですね。それから千両箱、鯛、おかめ、七福神、小槌、当り矢、松竹梅などが基本の指物です。現代はさらに芸術的になってきて、桝や宝船などたくさんの縁起物の指物がつきます。
 私たち関東の熊手は、爪が全部内側に向いていますが、関西の熊手は爪が外側に向くように、反対側に指物がついているんですよ。また、関東は中央におかめがあることが多いですが、関西は恵比寿天、大黒天が多いですね。
 そんな地域の違いはもちろん、時代の変化によって、指物もずいぶん変化しています。塗料も変わりましたし、材料も豊富になりました。鯛も昔は張子で叩き出して膠(にかわ)を塗り、さらに絵の具を塗っていました。七福神は粘土で作ったり、手間もかかるし重かった。現在は飾りも軽くなったので、その分たくさんの種類をつけることができます。

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小さな置物タイプも最近の主流。米俵の飾りを手際よくつけていく。

──熊手作りの面白さや苦労はどんなところにありますか。

 形がないところから作っていくので、自分で考えて作れるのが職人として面白いところですし、逆に難しくもあります。今年は約7000本の熊手を作りましたが、うちの熊手は同じ種類でも、同じ位置に同じ指物がついているものは一つもないんです。すべてが一点物です。

──選ぶのが楽しみになりますね。熊手は毎年大きい物に買い替えていくのがよいと聞きましたが本当ですか。

 それは迷信でしょう。どんどん大きくしていったら大変ですよ。そのうち飾れなくなってしまう。ご自身の飾る場所に合うサイズで、気に入ったものを選べばいいんです。最近は置物といって、柄のついていない、サイドボードの上などに置けるタイプが主流になっています。これも時代の変化ですね。

──酉の市で選ぶだけでなく、中には事前に予約される方もいらっしゃいますか。

 毎年酉の市に来てくださる北海道のお客さんがいたんですが、今年は酉の市に行けないので送ってくれという電話が来まして。それでは、倉庫から新しいのを送りますと言ったら怒られましてね。それではダメだと。酉の市で飾った後の物を送ってくれと。私は飾った物より、新しい物の方がよいと思ったのですが、お客さんにとっては違うんですね。きちんと酉の市に飾って手締めをしてからでないと意味がない。それが縁起物というものです。

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熊手の中の笊も福を搔き集める意味がある。
柄の竹は三年ものの孟宗竹がよいとか。


──熊手に込められた縁起が大事だと。

 怖い話もありましてね。とある割烹料理屋さんのために注文で作った大きな熊手があったのですが、その熊手をどうしても欲しいという別のお客さんに、私の友人が売ってしまった......。そうしたら次の年、その熊手を買った人が亡くなってしまったんです。割烹料理屋のご主人は当時重いご病気でしたが、その後三年生きられた。別の人に厄が憑いてしまったのではないかと、友人と話しました。
 私も製品に触る時は手を洗うようにしていますし、イライラしているような時は作りません。縁起物というのは思いがこもる品物ですから。

──買う人が掛ける思いが強いですね。

 でも自分で酉の市に来て熊手を買ってどうにかしようというお客さんは、一生懸命ですから。商売繁盛したいという人は、一生懸命仕事をするから、自然と繁盛すると思いますよ。熊手は頑張る人の、あと一押しになったり、心の拠りどころになったりする......そういうものなのかもしれません。




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《お話を伺った方》 橋本誠三さん

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熊手工房はしもと
[東京都足立区本木2-7-17]
熊手の製作から販売まで一家で手掛ける。花畑の大鷲神社、浅草の鷲神社、目黒、雑司ヶ谷の大鳥神社、深川の富岡八幡宮、新宿の花園神社、西新井大師、大宮氷川神社等、多くの酉の市で買うことができる。


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【酉の市2016】二の酉:11月23日(水・祝)

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「お灸」は江戸庶民のセルフケア

日本古来からある健康法の一つにお灸があります。現代のような医療体制が整っていなかった江戸時代には、お灸は自らできる治療のひとつとして、また予防医学として普及していました。昔からの製法を受け継ぎ、現代の人にも扱いやすいお灸を作り続けている東京・日本橋小網町「釜屋もぐさ本舗」の11代当主 富士治左衛門氏、富士武史氏にお話を伺いました。

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