江美研

江戸美学研究所 SINCE2008

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1603年から1867年まで、2世紀半を超えてひとつの器の中で文化が成熟し続けた江戸時代。
この奇跡の時代は、他に例を見ない美意識とライフスタイルのサンプルを私たちに残してくれました。
それは現代にも通じる日本文化の宝庫です。特に色、柄、形、文様などに集約される
遊び心とデザイン魂に満ちた「江戸のデザイン」は、日本人のデザイン感覚、様式美感覚の原点と言えます。
現在進行しつつある平成のライフスタイルは、その美意識と価値観において、
江戸時代のそれと相通じるものが多様に存在します。
江戸の美意識は日本文化のDNAとして、今も私たちの生活のなかに息づいています。
「江戸美学研究所(略称エビケン)」は、この「江戸のデザイン」を中心に、
江戸時代の美意識を多様な角度から研究・分析するために立ち上げました。
特に「江戸のデザイン」を今日にも通じるグラフィックモデルとして認識し、
そのスタイルに焦点を合わせます。そこから得られた成果を、21世紀の文化経済市場と
ライフスタイルにふさわしいカタチで皆様にレポートするものです。
立ち上がりは小さくとも、江戸時代のように末永く。どうぞよろしくお願い申し上げます。
エビケン7月号
江戸美学研究所スタッフがさまざまな江戸のデザインに関わる識者から、
江戸のデザイン、文化について学ぶこのコーナー。
第四回目は、江戸期の料理をテーマに研究・執筆をされている、千葉大学名誉教授・松下幸子氏に、
「江戸時代の料理」についてお話を伺いながら、
人々にとって「食」とは生活・文化のどのような位置を占めていたのか、
まさに「食の生活デザイン」について見ていきたいと思います。
インタビュー
エビケン編集部
今回は、江戸時代の料理を切り口に、江戸時代の人々の生活・文化を紐解いてゆければと思っています。
まず、他の時代と比較して江戸時代の食文化の特徴はありますか?
松下さん
実は、江戸時代の以前の鎌倉、室町、戦国時代の料理というのは、
実際どのようなものを当時の人々が食べていたのか、という資料はあまり残っていないのです。
鎌倉時代でいえば、上流階級の献立ぐらいは残っていますが、
庶民の献立は、あまりありませんし、
鎌倉時代に北条時頼が味噌を肴に酒を飲んだ、と記録にはありますが、
逆にその程度しか分かっていません。

そして室町時代も、お膳にどのような料理があったのかは記録に残っていますが、
その料理法までは分かりません。
食についての書物は少しありますが、料理法ではなくて、食事作法を記したもの、
つまり、「○○はこのように食べる」というものが残っているだけなのです。

それに引き換え、江戸時代は、人々がどのようなものを食べていたかがわかります。
つまり私たちが再現できるほどの料理がわかるようになったのは
江戸時代といってかまわないと思います。
インタビュー
エビケン編集部
それは、料理法が載っている料理書、
つまり今でいうレシピ本が江戸には多く書かれているということなのでしょうか?
松下さん
そうですね、江戸時代からといっていいかもしれませんね。
しかし、ひとくちに江戸時代といっても、約270年の年月がありますでしょ。
明治から平成の今までが約140年ですから、江戸時代がいかに長かったか。
江戸時代の中でも、その食文化事情が大きく変化していったことは
予想がつきますよね。

ここに江戸時代の料理書年表があります(写真(1))。
これを見ると分かるように、
江戸時代の後半(年表の下段)になればなるほど、
料理書の数が格段に多くなっていることがわかりますよね。

幕府が開いたばかりの前期は、食生活は非常に質素だし、
江戸という都市もまだできていない時代でした。
そこかしこで土木工事をしていて、町には労働者が多く、
町中が工事現場のようなもの。
埃っぽくて食文化の発達までいきません。
食生活は非常に質素で、料理書もあまりないわけです。
だから前期は、まだ上方(京都)が中心の世の中で
「下りもの」つまり上方から送ってきたものが上等で、
江戸で作られた地元のものは、上等ではないと思われた時代でした。それが1700年代になると、
江戸もだんだんと町が落ち着き始めて、
いろいろと料理書も出版されました。

後期になるとさらに増え、
有名な『豆腐百珍』も出てきます(写真(2))。
さらに文化・文政期になると、
江戸の生活・文化が
爛熟した時代といわれますが、
食生活も豊かになって、
この時期ににぎり鮨も登場したのですよ。

写真上より(1)江戸時代料理書年表
『再現江戸時代料理』松下幸子・
榎木伊太郎編(1993小学館)より
(2)『豆腐百珍』は、天明年(1782年)に
刊行された100種類の豆腐料理の調理方法を
解説した料理本。『続編』『余禄』などの
続編も刊行され、大ヒットとなった。

エビケン編集部
江戸時代の料理書について、もう少し詳しくお願いできますか?
松下さん
江戸時代に書かれた料理書は大体200種類くらいは
現存していますが、それには大きく2種類あります。
1つは写本といって、手書きの原本とそれを書き写したもの。
もうひとつは刊本(木版本)といって印刷ではないけれど、
版を押すことで、何枚も複製することが容易だったもの。
先ほど、少し紹介した『豆腐百珍』も
刊本で印刷されたものです。中身の文字を見てみてください。
以外と読みやすいと思いませんか?(写真③)
これも今の書籍と同じように同じ版木を使って、
何回か刷りなおしているのですよ。
『豆腐百珍』はものすごく売れて、版を重ねたそうです。

また最初にでた調理法が書かれた刊本の料理書は、
『料理物語』(1643)です。それまでは、食事作法を
書いた料理書が多かったのですが、「料理物語」は
「海の魚之部」「磯草之部」といったように品目別に
「○○の部」とジャンルわけされています。

(2)豆腐百珍目録

インタビュー
エビケン編集部
刊本が普及することで、より多くの人々に手に、料理書がいきわたったということですね。
それらの料理本はいったい誰が書いていたのでしょうか?
松下さん
今のように料理研究家のような人たちではなくて、
さまざまな職種の方々が本を出していました。
ひとつには、式正庖丁家(しきしょうほうちょうか)といって、
日本料理の流派(四条流など)に属して、大名や貴族に召し使えられた料理人。
また、流派に属さない市井の料理人など、実際に料理を作る人たち。
それに懐石料理をつくる必要があったせいか、茶道の関係の人も書いていますね。
『茶湯献立指南』(1696)は茶道関係の人が書いた料理書です。
あとは、文人、文章を書く人が趣味的に書いているのもあります。
有名どころだと『東海道中膝栗毛』の著者の十返舎一九は
菓子製法書『餅菓子即席手製集』(1805)を刊行しています。
それはね、お金がなくて収入のために書いたともいわれているのですよ。

それから、『豆腐百珍』の著者といわれている曽谷学川(そだにがくせん)は、
篆刻(てんこく)家ですからね。(※印章を作成することを篆刻という。)
このように、さまざまな職種の人が料理書に携われていたのです。

ただそれを誰が読んでいたか、は実際よく分からないのです。
ひとつ言えるのは、江戸時代は寺子屋がたくさんあって、
世界的に見ても識字率が日本は高い国でしたので、
多くの人は字を読めたのだと思います。
ただ、そんなにお金は持っていませんから、
背負って歩いて貸本をする貸本屋が江戸時代には多かったそうです。
インタビュー
エビケン編集部
今のレシピ本のように実用書として実際に使われていたのかどうかに関してはどうなのでしょうか?
松下さん
そうですね、レシピが載ってはいても、
実際は知識・教養として趣味的に読んでいた人も多かったと思われます。
なぜなら料理書の中には、作ってみても実際にはできないものもあるからです。
例えば、有名なものに、
「黄身返しの卵」というものが『万宝料理秘密箱(まんぽうりょうりひみつばこ)』(1785)に載っています。
ゆで卵は黄身が中心ですよね。
それを白身が中で黄身が
外という風に反対にするというものです。
どんな作り方かというと、卵の頭のところに
針を入れて、一寸ばかり穴をあけ
(直径ですと卵が出てしまうので、深さと解釈)
それで糠味噌に3日ほど漬けておく。
それから水で洗ってゆで卵にすると、
黄身返しになっている、と書いてあるのですが、
実際にやってみると、結果は失敗でした(笑)。
まわりの研究者も誰もできなくて。
「振るんじゃないか」なんて、いろいろ話はでましたけどね。
最近では、研究が進んだようで、白身と黄身の比重の差を利用して、
振るとできる、なんていいますけど…。

いずれにしても、料理本にある「黄身返しの卵」は、
読み物として楽しむ要素が含まれていたのではないでしょうか。

松下さんには取材当日
貴重な資料をご持参いただきました。

     
もう1つ、非実用的な料理といえば、
氷柱吸物(つららのすいもの)というのがあります。
冬にお吸物をつくって、そこに氷柱を入れるだけ。
ただし、あまり置いてしまうと溶けてしまいますが「暫くとけず」とあります。
おもしろいでしょ。このような遊び的な要素が、料理書の中にかなりあります。
ですから実用書というよりは、読み物として楽しんだことも想像できるのです。
少なくとも、主婦が日ごろの食事のために利用していたものではなかったことは確かです。
江戸の後期に長屋に住む人たちは、
そんなに立派な台所があったわけではなかったですから。
狭い一部屋があって、流しがあって、七輪があって。
料理書にあるような料理ができたとはとても思えませんからね。
庶民の食事は主に、行商の振売(ふりうり)といって、お豆、佃煮、
お豆腐、貝の剥き身、魚、野菜などのようなものは
みんなそこから買っていました。
『守貞漫稿(もりさだまんこう)』はね、
いろいろな絵がたくさん入っていて、
江戸時代の様子を知る参考になりますよ(写真④)。

「東海道中膝栗毛」の弥次喜多(やじきた)にも、
旅行に行くまで住んでいた神田の八丁堀のあたりの場面では、
食事は確か納豆も書いてあるし、剥き身のお汁も書いてありますね。
だから余計に、料理書の料理を作っていたのは、おそらく料理人、
もしくは裕福な商人の使用人といった限られた人であったと思います。

(4)豆腐売りの振売。「守貞漫稿」より

インタビュー
エビケン編集部
読み物として楽しむ料理書があったことは驚きです。
さきほどから、ご紹介いただいている『豆腐百珍』のように、
100種類もの創意工夫をして、調理法が考えられた背景には何が考えられますか?
松下さん
まず、江戸時代は今と比べて、食材が非常に限られていたということです。
今ある野菜の多くは明治以後、輸入した品種です。
例えばキャベツ、たまねぎ、白菜、ピーマン、レタスなど以外に多いのですよ。
魚も遠洋漁業はできないので近海物しか手にはいりませんしね。
少ない食材の種類、しかも生活水準もあまり高くないので、
乏しい食材をいろんなやり方で丁寧に、調理して工夫して
だから百珍もの料理ができたのだと思います。
逆に今は何でもある時代ですから。
豆腐1つで、百種類以上の料理を考えるなんて、
そんなことは考えもしませんよね。

◎後半は、次回WEBマガジンに掲載いたします。
  江戸料理に見られる、人々の食への心遣い、そして歌舞伎など庶民の楽しみと食の関わりについて解説します。

1925年生まれ。東京女子高等師範学校家政科を卒業。埼玉師範学校、埼玉大学を経て1965年より千葉大学に在職。調理学、料理史専攻。1991年3月定年退官。現在、千葉大学名誉教授。2005年4月瑞宝中綬章受章。著書に「江戸料理読本」(柴田書店)、「祝いの食文化」(東京美術)、「図説 江戸料理事典」(柏書房)、共著に「料理文献解題」(柴田書店)、「再現江戸時代料理」(小学館)、「料理いろは包丁」(柴田書店)、など。

   

今月のエビケン編集部のつぶやき

アッチ (31) 入社5年目/デザイン担当

●趣味:乗り物・女磨き 
●特技:読心術・旅行日程組

土用の丑には少し早いものの先週末、鰻を食しました。なにやら身体中にパワーがみなぎる思いです。江戸人もこんな気持ちで日々の食べ物を大切にしていたのでしょうか。同じ食材を創意工夫でより美味しく、そして豊かに楽しんでいた江戸時代。外食メインの私は学ぶところが多そうです。

ナハナホ (26) 入社4年目/ライター担当

●趣味:ボクシング 
●特技:夏の紫外線対策・サマータイム

最近は、暑い日が続いてどうしても食事がおろそかになりがち・・・。しかし今回、松下先生から江戸っ子の「食」を楽しむ姿勢に大いに刺激されました! 小山薫堂さんの「一食入魂」のお言葉を借りて、私も消費するだけの食から、食それ自体を楽しむ心を持ちたいです。

 

 

 

 

 

 

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