「九尺二間」が生んだ人情の機微

塚田圭一(つかだ・けいいち) 
1934年、東京生まれ。
早稲田大学文学部演劇学科卒業。学生時代から歌舞伎にいそしむ。
卒業後、卒論のテーマだった『小芝居』の取材のために通ったかたばみ座に在籍。
その後、菊五郎劇団を経てフジテレビ開局時(1958年)に入社。
主にドラマの演出で活躍するかたわら、歌舞伎座等のイヤホン・ガイドの
解説をスタート時から担当している。
現在はフジテレビを経て共同テレビジョン代表取締役会長。数々のイベントに取り組む。
著書には「歌舞伎・ザ・エンターティメント」「平成歌舞伎委員会」(扶桑社)がある。

歌舞伎には、大別すると時代物、世話物、所作事、新歌舞伎の
四種の演目があります。
慶長八年(1604)に発生し、当初はレビューのような踊りだったのが、
元禄年間のころから大変に成長し、数々の名作が生まれました。
現在、上演されているお芝居の大部分は、
その時代以降の江戸時代に作られたものです。
ですから、江戸時代の人たちから見た「時代劇」──、
つまり江戸以前の時代が舞台になているお芝居を時代物といいます。
それに対し、江戸時代を舞台にしたお芝居「現代劇」を
世話物と称しています。
他の2つ、所作事は踊り、
新歌舞伎というのは明治以降に作られたお芝居です。

挿絵02-歌舞伎.jpg

従って、ここで取り上げるのは当然、世話物。
歌舞伎を知る上で、江戸の庶民の生活をいろいろと見ていきたいと思います。
江戸時代の江戸は開府当初は16万人くらいの都市でしたが
あっという間に100万人都市に膨れ上がりました。
しかし、当時の地図を見てみると、その70パーセントに当たる
中央部分が、地方の大名の江戸屋敷をはじめ、
それに関係するお武家屋敷ばかり。
残りの30パーセントの土地に
庶民がひしめき合って暮らしていたわけです。
人口比でみると70パーセントの中央部分に30パーセント、
30パーセントの土地に70パーセントの人が住んでいました。
現在の東京大学は加賀百万石の江戸屋敷跡に建てられたもの、
あれだけをみても如何に広大な土地を占有していたかが判ります。

一方、庶民の方は、猫の額ほどの土地にひしめき合って
生きていたわけですから、たまりません。
その中にも寺地も沢山ありますし、
表通りのよい場所には「伊勢屋」「近江屋」「越後屋」など
地方の豪商が進出占拠しています。
大工とか、左官とか、ぼて振り(天秤棒を担いで物売りをする人)など、
いわゆる一般庶民は、長屋住まいを余儀なくされてしまうことに……。
幅九尺(約3メートル)、奥行き二間(約4メートル)の
いわゆる九尺二間と呼ばれる空間の中で、
それも棟続きの長屋で棲息していた人が多かったのです。
でもだからこそ、人情の機微も生まれ、
様々なドラマが生まれたのです。

 

挿絵03-長屋.jpg

 

※長屋については、江戸の生活文化のバックナンバー「江戸のエコスタイル②」をご参照ください。

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